26神は存在するのか
芳村思風一語一会 vol.5572
26神は存在するのか
~人間であるとはどういうことか
「人間であるとはどういうことか」
言葉を変えると
「人間とは何か」ということであり、
「人間の本質とは何か」ということ。
最初の問題は、「神」が存在するかどうか。
神が存在するかどうかは、いくら考えても答えは出ない。
議論しても意味がない。
科学で証明できるものではないから。
感性論哲学では「神が存在するか、しないか」ではなく、
「神」という言葉の存在を問題にしている。
世界中の多くの民族に、神という言葉が存在する。
神という言葉以外にも
大宇宙・天・真我・おおいなるもの・サムシンググレートなど
の言葉もある。
「目に見えるものの背後に、目に見えないものの存在がある」
ということを人間が感じているという証拠。
地震や大雨・台風など自然災害や天変地異は、
人間が起こしているものではない。
目に見える現実の背後にいる目に見えない存在が
これらを起こしていると考え、信じた。
目に見えない存在を「神」という言葉を持つことによって意識しはじめ、
人類は歴史をつくることができるようになった。
目に見えるのは現実。
目に見えるものの背後に目に見えないものがある。
目に見える現実だけに支配されないで
目に見えない存在を意識して生きることをめざした。
目に見えないものとは夢であり、希望であり、理想であり、未来。
与えられた現実に縛られることなく、
現実を変える生き方ができるのは人間だけ。
神がいるか、いないかではなく、
神がいると信じて目の前のことに全力を尽くす。
神がいると信じることができると、
「神は、乗り越えられない人に、試練は与えない」
ということを信じることができる。
そして、神は、自分の外にいるのではなく、
自分の心の中にいる、
神と自分は一体だと信じることができたとき、
どんな大きな問題が出てきても、
自分を信じて前に進むことができるようになる。
やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・
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Source: 芳村思風 感性論哲学の世界