感謝と謝罪

感謝と謝罪

芳村思風一語一会 vol.4332
感謝は、自分一人でできる
謝罪には、必ず相手がいる。
目の前にいない相手に謝っても伝わらない。
相手に自分の思いが伝わらないと、
謝罪したことにはならないからです。

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感謝と謝罪
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不完全な人間が「不完全性の自覚」に基づいて、
本物の人間として行わなければならない
行為が「感謝と謝罪」です。

不完全性の自覚から直接的に出てくるものは、謙虚な心です。
その謙虚な心が、具体的に行動として表現されたものが「感謝と謝罪」の実践です。

人間の本質は、心です。
人間らしい心とは、謙虚な心です。
人間において傲慢さほど醜くて恐ろしいものはありません。
人間は傲慢になったとき、人間であることを根底から失格するのです。
傲慢な顔つき、傲慢な目つきや態度、傲慢な物言いほど醜く嫌なものはありません。
努力して地位を獲得した人間が失脚するのは、すべて傲慢不遜な振る舞いゆえです。

その意味で謙虚さほど人間にとって大切なものはありません。
常に傲慢であってはならないという自覚を忘れてはなりません。
それほど大切な謙虚さも不完全性の自覚が、
ほんとうに身について体得されていないと、
謙虚さが弱さになり、媚びへつらいとなってしまうことがあります。

これでは謙虚さもニセモノです。

ほんとうの意味での不完全性の自覚が身につけば、
本物の謙虚さとして出てくるものが「感謝と謝罪」の精神です。

感謝は不完全なるがゆえに人に助けてもらい、
人のお世話になったときに、命から湧き上がる気持ちです。

また感謝という行為には、作為的なものが根底にあることがあります。
「良い人と思われたい」「好かれたい」という気持ちがあり、
感謝には人間の完璧さを意識したところがあります。

心の底から人間は不完全であると自覚したとき
、謝る・許しを請う・許すという行為となるのです。
謝る・許すという行為は、人間の深さに関係します。
不完全性の自覚は、感謝よりももっと深いところにあるのです。
「ごめんなさい。私が悪かった、許してね」という言葉は、
人間の深さがないと心からの言葉とはなりません。

感謝よりも、人間としてのもっと深い行為は謝罪なのです。
感謝は主体が自分ですが、
謝罪や許しは、相手が必要であり、
自分を捨てなければできない行為です。

「ありがとう」は言えても
「ごめんなさい」
「申し訳ありません」
「許してください」
という謝罪の言葉は、単なる謙虚さではなく
ほんとうに大変なことをしてしまったという自覚と深い反省がなければ出てこない言葉です。

同じ不完全性の自覚から湧いてくるものでも
感謝の心は、まだ浅く、
謝罪の心こそ人間における最も深い謙虚な心であるということができるのです。

本物の人間になるためには、意識的に謙虚にしようとするのではなく、
不完全性の自覚からにじみ出てくる謙虚さが必要なのです。
                                              

「風の思い」
~芳村思風 46の言葉~より

 

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Source: 芳村思風 感性論哲学の世界