不完全性の自覚と感謝と謝罪
不完全性の自覚と感謝と謝罪
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感謝は不完全なるがゆえに人に助けてもらい、
人のお世話になったときに、命から湧き上がる気持ちです。
人にしてもらったことに対するお礼の行為ですので、案外素直にできます。
また感謝という行為には、作為的なものが根底にあることがあります。
「良い人と思われたい」「好かれたい」という気持ちがあり、
感謝には人間の完璧さを意識したところがあります。
心の底から人間は不完全であると自覚したとき、
謝る・許しを請う・許すという行為となるのです。
謝る・許すという行為は、人間の深さに関係します。
不完全性の自覚は、感謝よりももっと深いところにあるのです。
「ごめんなさい。私が悪かった、許してね」という言葉は、
人間の深さがないと心からの言葉とはなりません。
感謝よりも、人間としてのもっと深い行為は謝罪なのです。
感謝は主体が自分ですが、謝罪や許しは、相手が必要であり、
自分を捨てなければできない行為です。
「ありがとう」「うれしいです」は言えても
「ごめんなさい」「申し訳ありません」「許してください」
という謝罪の言葉は、単なる謙虚さではなく、
ほんとうに大変なことをしてしまったという
自覚と深い反省がなければ出てこない言葉です。
同じ不完全性の自覚から湧いてくるものでも感謝の心は、
まだ浅く、謝罪の心こそ人間における最も深い謙虚な心である
と言うことができるのです。
本物の人間になるためには、意識的に謙虚にしようとするのではなく、
不完全性の自覚から、にじみ出てくる謙虚さが必要なのです。
「風の思い」より
Source: 芳村思風 感性論哲学の世界