謝罪と感謝 2

謝罪と感謝 2

芳村思風一語一会 vol.4897 【謝罪と感謝 2 】  本物の人間になるための条件のひとつである 「不完全性の自覚からにじみ出る謙虚さ」は、 人間は不完全であることを自覚し、 謙虚さがほんとうに身について体得されてはじめてでてくるのです。  意識して謙虚であろうとしているときは、謙虚さが弱さになり、 媚びへつらいとなってしまうことがあります。これでは謙虚さもニセモノです。  ほんとうの意味での不完全性の自覚が身につけば、 本物の謙虚さとして出てくるものが「謝罪と感謝」です。  不完全性の自覚から直接的に出てくるものは、謙虚な心です。 その謙虚な心が、具体的に行動として表現されたものが 「謝罪と感謝」の実践です。  人間の本質は「心」です。 人間らしい心とは、謙虚な心です。 人間において傲慢さほど醜くて恐ろしいものはありません。 人間は傲慢になったとき、人間であることを根底から失格するのです。 傲慢な顔つき、傲慢な目つきや態度、傲慢な物言いほど醜く嫌なものはありません。  努力して地位を獲得した人間が失脚するのは、すべて傲慢不遜な振る舞いゆえです。 その意味で謙虚さほど人間にとって大切なものはありません。 常に傲慢であってはならないという自覚を忘れないこと。   「謙虚にしなくてはならない」と思っている間は、 謙虚さは、にじみ出てきません。  どんなに努力しても短所は、なくことならない。 自分には短所があることを自覚し、できるだけでないように努力する。 他人の短所は許し、受け入れる。   感謝は不完全なるがゆえに人に助けてもらい、 人のお世話になったときに、命から湧き上がる気持ちです。 人にしてもらったことに対するお礼の行為ですので、案外素直にできます。 しかし感謝という行為には、作為的なものが根底にあることがあります。   「良い人と思われたい」「好かれたい」という気持ちがあり、 感謝には人間の完璧さを意識したところがあります。 心の底から人間は不完全であると自覚したとき、 謝る・許しを請う・許すという行為となるのです。  謝る・許すという行為は、人間の深さに関係します。   不完全性の自覚は、感謝よりももっと深いところにあるのです。 感謝よりも、人間としてのもっと深い行為が、「謝罪」なのです。  感謝は主体が自分です。 ひとりでも感謝はできます。  謝罪や許しは、相手が必要であり、自分を捨てなければできない行為です。  「ありがとうございます」は、素直に言えても、 「ごめんなさい」という謝罪の言葉は、勇気が必要です。  さらに「許してください」は、単なる謙虚さではなく、 ほんとうに大変なことをしてしまった  という自覚と深い反省がなければ出てこない言葉です。  「ごめんなさい。私が悪かった、許してね」 という言葉は、人間の深さがないと心からの言葉とはなりません。 「ごめんなさい」だけでは不十分なのです。  同じ不完全性の自覚から湧いてくる謝罪の心こそ 人間における最も深い謙虚な心であると言うことができるのです。  本物の人間になるためには、意識的に謙虚にしようとするのではなく、 不完全性の自覚から、にじみ出てくる謙虚さが必要なのです。   人からほめられたとき 「そんなことないです」 「いいえ、私なんかまだまだです」 というのは、謙虚な心からでた言葉ではありません。  ほめられたときは、 「ありがとうございます」 と素直に受け取ること。  そしてその後に「おかげさまで」 と言葉を続けることで、 傲慢にもならず、相手にも感謝の気持ちが伝わるのです   順序は、謝罪が先です 内省・自省をしたとき 今まで自分が どれだけたくさんの人にたすけられてきたか どれだけたくさんの人に迷惑をかけてきたか どれだけたくさんの人に心配をかけてきたか に気づき、謝罪の心が湧いてきます  謝罪の心が湧いてくれば、 次に湧いてくるのが周りの人たちへ感謝の気持ちなのです   謝罪の気持ちが 感謝は深いものになり、相手に深く伝わるのです   やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・・  ●講演録 「風の思い」 「人間関係10の原則」 「感性経営の10原則」 「魅力あるリーダーになるために」 「思風語録2」 ・各 1,100円 税込   ●芳村思風先生の勉強会 ・12月3日(土)東京思風塾 13:00~15:30 Zoom(+会場) 参加費:5,000円  ※お問い合わせ 思風庵哲学研究所。  


Source: 芳村思風 感性論哲学の世界