第6回zoomによる日本創生セミナー

『伊勢神宮の成立と阿波忌部 』
◉三重県伊勢市の「伊勢神宮」は、日本国民の総氏神とされ、天照大御神を祀る皇大神宮(内宮)と豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)がある。
その伊勢神宮成立の背景には、阿波忌部の進出が深く関係していました。その謎を歴史上初めて紐解きます。

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「忌部」とは
「忌」はイムと読みますが、この字の意味は
・『神聖、呪力のある状態のこと』
この「忌」に「部」がついて
・『穢れを忌み清める集団 神聖な状態を保つ集団』となる。

忌部は古代朝廷の祭祀を始めとして祭具作製・宮殿造営を担った氏族であり、朝廷に属する品部(ともべ = 職業集団)と忌部氏の部曲(かきべ = 私有民)の2種類が存在した。品部である忌部には、玉を納める出雲、木を納める紀伊、木綿・麻を納める阿波、盾を納める讃岐などがあった。忌部氏は、5世紀後半から6世紀前半頃にその地位を確立したとされています。

日本の八百万の神概念とユダヤの神概念の間に、何かとても共通したものを感じ、コーヘン氏によれば、神道でいう「八百万の神々」というのは、全ての場所に神が臨在、偏在していることの象徴
資源も乏しいイスラエルと日本のどちらも技術や経済で高いレベルを達成してきたのは「人間の力」だと指摘

※歴史的な背景として
古代ユダヤの秘宝「契約の箱」が眠るとされる剣山に、弘法大師・空海が四国八十八箇所霊場を開いて結界を張り巡らせたことにより、四国は「死国(しこく)」として封印されることになりました。

歴史の表舞台から姿を消し、代わりに表舞台に現れるのが、奈良の大和地方のようです。

大和心・大和魂・大和民族・大和の国と言うように、日本人や日本国を表す「大和」という言葉は元々、奈良の大和地方を表す言葉だったようですが、奈良の大和地方が歴史の表舞台に登場する前の、原型のようなものが阿波の国・徳島にあり、それが封印されてしまったと言われています。

歴史的に抹殺されてしまったという事で当時、平和的な感性を持って天皇家の祭祀として使えていた忌部氏が藤原氏(中臣氏)に武力で支配され歴史から姿を消したといわれている部族が阿波忌部族

ユダヤと共通している点は多数あるとコーエン氏いわく、大きいところとしては

ユダヤ人が2000年の時を越えてユダヤ教を守り通せた事と日本人が日本の文化(神道)を守り抜いてきた事
剣山(阿波忌部)において、その守り抜かれてきた様々な形跡が今でも残っていて

過去に林先生の講演でも

「剣山系の農業を守ることは、日本屈指の植生や生態系を守ることにもなる。」

「3000年の歴史が続くには農業と共に信仰があった」

天皇家に使えていたというのは山崎の忌部神社においても記載があり

大宝律令の神祇令に「凡そ践祚の日,中臣は天神の寿詞(よごと)を奏せ、忌部は神璽鏡剣(しんじのかがみつるぎ)を上(たてまつ)れ」とあるように、京師の忌部は大嘗祭の都度、皇位の印である鏡と剣を作り奉っていたのですが、1036 年、第 69 代・後朱雀天皇を最後に廃止となり、中臣の寿詞だけとなります。本来の八咫鏡は伊勢神宮で祀られ、天叢雲剣は熱田神宮のご神体として祀られています。

麁服とは、天皇が即位後初めて行う一世一度の大嘗祭においてのみ使用する、阿波忌部が織りあげた麻布の神服(かむみそ)

麁服は天皇自身が着るのではなくて、天皇が神衣として最も神聖なものとして、天照大神にお供えする物です。上古より阿波忌部の氏人が製作するから麁服なので、忌部以外の人達が作成すれば、それはただの麻織物。

 

イスラエルも日本も元々は文明を築き上げてきた民族ではあるが様々な経緯を辿ると、必ずしも幸せな歴史を辿ってきた訳ではない。

しかし
歴史の中で文化(宗教、儀式、感性、農耕、建築、等々)が途絶えずに続いているのは
次の時代への新たな気づき、そして文化を継承し守り続ける大切さを知る事につながるのでは?ないかという事

 

■Y染色体のYAP遺伝子

Y染色体にあるYAP遺伝子は一説には“神の遺伝子”と言われ、東アジアでは日本人男性にしか見ることができない特異的なY染
色体 「YAP」がある。。他に見られるのはイスラエルのユダヤ人と、ベンガル湾に浮かぶアンダマン諸島の人々、チベット、
一部のアラブ人に限定されるといわれ

 

地理的に日本に近く民族的な親戚関係にあるはずの韓国朝鮮人や、中国人(漢人)にはYAP遺伝子が見られない。一説には、日ユ同祖論の謎を解くヒントがこの遺伝子にあるとも言われている。つまり、南北イスラエル王国が崩壊した際、東に向かった古代ユダヤ人の一部が日本に流入し、日本人の体内にYAP遺伝子を残存させたと

 

したがって天皇のルーツがユダヤ王朝の末裔であるという仮説がここから生まれた由縁であり、現在イスラエルではアミシャーブ(10支族に関する調査機関)が世界各国で失われた10支族の末裔を確認して回っていてY染色体は、父から息子へにだけ伝えられ る。 もとのYは、男が生まれればY染色体に内包 される情報が遺伝する。 もし、家系の途中で一回でも女しか生まれ ないとすると、もとの男のY染色体の遺伝情報は消えてしまう。つまり、Y染色体の遺伝 情報は大変脆弱である。

このYAP遺伝子は韓国朝鮮人や中国人にはないという事は 日本人の大元が、半島の方達とは全くの赤の他人ということです。大陸から移住してきて混血してもなおかつ、もともとの日本人の因子を受け継いできた。縄文人がどうやらその祖であるようで、縄文人がもつ特性とは、「闘争心の無さ」。縄文時代が長い間続いたのは縄文遺跡には争いの形跡がない。人 間が得た糧を皆に平等に分け合い、十分に幸福に暮らしていれば、争う必要はない。争いが始まったのは、大陸から渡来した弥生人が、縄文人の土地に入り込み、農耕を始め、農作物の貯蓄により権威者を作ったことで、縄文時代が終わった。日本人のおとなしさの系譜は、縄文人の血によるもの。 YAP遺伝子は、大陸には存在しない。大陸では「闘争心の無さ」が仇になったため、 絶滅してしまった。日本という土地での み、その遺伝子を現在も残すことができたのである。

ここで要点となりそうなのが、闘争心やエゴの結果として環境問題、核の問題、人間関係の問題などなどが結果として出てきてしまっていること。世界が、闘争に疲れ果てる時が来 たら、縄文人のような心のあり方が必要になるかもしれない。ということ。