禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(30)開催しました。

碧巌録第55則「道悟(どうご)漸源(ぜんげん)弔慰(ちょうい)」

<全体の流れ>

禅は、2500年前のお釈迦さまの時代から、仏教の大事な瞑想修行の方法として受け継がれてきました。しかし、本格的に坐禅をするには、指導してくれる道場が少ない、初心者にとってかなり足が痛くて苦痛であるなどの問題があります。そこで、この勉強会では、誰でもできる禅的な瞑想法として、イス禅を皆さんと一緒に実習します。

その後、『無門関』(むもんかん)、『碧巌録』(へきがんろく)など禅の古典から、現代に生きる私たちにも役立つ禅の話をご紹介いたします。なお、時間の許す範囲で、皆さんと感想の共有をしたいと思います。

中国の唐時代は禅宗が確立し、中国全体に広まっていった時代ですが、唐時代の9世紀に活躍した道悟円智(どうご-えんち)禅師の禅話をご紹介いたしましょう。登場人物は、道悟禅師とその弟子である漸源(ぜんげん)および漸源の兄弟子で、のちに師匠となる石霜(せきそう)禅師です。
ある日、道悟禅師が、弟子の漸源を連れて、一軒の家に弔問に行かれました。まだ若く熱心に修行に打ち込んでいた漸源は、ご遺体を目の当たりにして、普段からの大疑団(だいぎだん:禅的な大きな問題意識)が吹き出したのでしょう。いきなり、棺桶(かんおけ)を叩いて、「生か死か?-この棺桶の中におる人は、生きておるんですか?死んでおるんですか?」と師匠の道悟禅師に尋ねました。
ご遺体ですから、肉体は死んでいることは明らかですが、「般若心経」などにも書かれている「不生不滅(ふしょうふめつ)」の仏心、つまり生まれもせず滅することもない、永遠の存在であるはずの仏心は肉体が死んでも、滅びることなく生きているのでしょうか?という意味の根源的な問いです。
不生不滅の仏心を悟る(直観的に知る)ことが、禅修行の最初の目標(見性:けんしょう)です。一所懸命に修行しながら、まだ悟りの目の開けない漸源としては、ご遺体を前にして、日頃の求道心が吹き出したのでしょう。人目もはばからずに、棺桶を叩いて、師匠に真剣に問いかける姿は、狂人じみたものがありますが、それだけ「常に道を求め、真理を求める気持ち」が強かったのだろうと、『碧巌録(へきがんろく)』では漸源を誉めています。
それに対して、道悟禅師は、「生ともまた道(い)わじ、死とも道(い)わじ-生きておるとも言わん。死んでおるとも言わん」と答えました。仏心は不生不滅の存在ですが、それを私たちの人生に引き付けて考えると、

「生きると死ぬという対立的な考えがすでに間違いだ。死んでしまったら死はない。死ぬということを考えるから生きるということがある。生きるということを考えるから死という問題が出てくる。」(山田無文著「碧巌録全提唱第6巻」p.190)

ということになります。

中国の唐時代は禅宗が確立し、中国全体に広まっていった時代ですが、唐時代の9世紀に活躍した道悟円智(どうご-えんち)禅師の禅話をご紹介いたしましょう。登場人物は、道悟禅師とその弟子である漸源(ぜんげん)および漸源の兄弟子で、のちに師匠となる石霜(せきそう)禅師です。
ある日、道悟禅師が、弟子の漸源を連れて、一軒の家に弔問に行かれました。まだ若く熱心に修行に打ち込んでいた漸源は、ご遺体を目の当たりにして、普段からの大疑団(だいぎだん:禅的な大きな問題意識)が吹き出したのでしょう。いきなり、棺桶(かんおけ)を叩いて、「生か死か?-この棺桶の中におる人は、生きておるんですか?死んでおるんですか?」と師匠の道悟禅師に尋ねました。
ご遺体ですから、肉体は死んでいることは明らかですが、「般若心経」などにも書かれている「不生不滅(ふしょうふめつ)」の仏心、つまり生まれもせず滅することもない、永遠の存在であるはずの仏心は肉体が死んでも、滅びることなく生きているのでしょうか?という意味の根源的な問いです。
不生不滅の仏心を悟る(直観的に知る)ことが、禅修行の最初の目標(見性:けんしょう)です。一所懸命に修行しながら、まだ悟りの目の開けない漸源としては、ご遺体を前にして、日頃の求道心が吹き出したのでしょう。人目もはばからずに、棺桶を叩いて、師匠に真剣に問いかける姿は、狂人じみたものがありますが、それだけ「常に道を求め、真理を求める気持ち」が強かったのだろうと、『碧巌録(へきがんろく)』では漸源を誉めています。
それに対して、道悟禅師は、「生ともまた道(い)わじ、死とも道(い)わじ-生きておるとも言わん。死んでおるとも言わん」と答えました。仏心は不生不滅の存在ですが、それを私たちの人生に引き付けて考えると、

「生きると死ぬという対立的な考えがすでに間違いだ。死んでしまったら死はない。死ぬということを考えるから生きるということがある。生きるということを考えるから死という問題が出てくる。」(山田無文著「碧巌録全提唱第6巻」p.190)

ということになります。
人間は毎日、人生の終点である死に近づきつつある存在です。今日一日生きたということは、今日一日分死に近づいたことです。そのことを踏まえて、昭和最後の大禅者である山田無文老師(1900年7月16日-1988年12月24日、花園大学学長、妙心寺派管長などを歴任)は次のように解説されています。
「終点へ来たら、もう生きることもなくなるから死ぬこともなくなる。生きることがなくなって、それから死が始まるのではない。生きることがなくなると、死ぬということもなくなるから、死んでしまったと言う。死もすんだと言う。生きるの死ぬのという分別を持っていることが間違いだ。(中略)」

「生死がないということが分かることが、直(じき)にこれ生死の関門を通る秘鍵(ひけん:秘密のカギ)というものであろう。「生とも、また道(い)わじ、死とも、また道(い)わじ」とは、言わんのではない。生死がないのである。言いたくてもないのである。」

(山田無文著「碧巌録全提唱第6巻」p.191)
これは理屈ではなく、山田無文老師ご自身の境涯を示した言葉です。だからこそ、道悟禅師の言葉を受けて、「生きるの死ぬのという分別を持っていることが間違いだ」とさらりと言えるわけで、私たち凡夫は、なかなかそのようには悟れません。
このときの漸源(ぜんげん)も同じでした。師匠にむかって、「なんとしてか道(い)わざる?-どうして言わんのですか? どうして言うてくれんのですか?」と重ねて問いました。すると、道悟は、「道(い)わじ。道(い)わじ。-言わん。言わん。」と答えました。
道悟の答えは、「お前のように生死の世界をわしは持っておらん。わしのところに生死などはない」という意味で、「言いたくても、言いようがない」ということです。この場合の「生死はない」というのは、肉体的な生死ではなく、かといって、肉体に対する霊魂のことでもありあません。
日常的な言葉で説明すれば、「わしは生死などに悩んでおらん。本当に悟れば、生死の問題を気にすることもなくなる。今というこの時を力いっぱい生きて、死ぬときは、ただ死ぬまでだ」という突き抜けた心のあり方を示しています。
なぜ、このように生死の問題に悩まなくなるのかというと、偉大な禅者は、禅修行を通して、自分の心(仏心)は、もともと宇宙と一体であり、宇宙一杯の存在であるということを悟るからです。

現代の科学によれば、宇宙にも、138億年という年齢があり、ビッグバンという始まりがあります。まだ結論は出ていないようですが、いつか宇宙の終わりの日もあるかも知れません。しかし、かりに宇宙に始めと終わりがあったとしても、100億年単位(もしかしたら兆年単位)の話ですから、限りある寿命の人間にとっては永遠と同じです。

自分の心が宇宙と一体であると悟ることができれば、生死の問題は自ずと小さなものになるでしょう。「死」という現象がなくなるわけではありませんが、そのことに悩まなくて済むようになるのだと思います。
これは、私たち凡夫にとっては、修行の目標とすべき境涯であり、無理に納得する必要はありません。頭では道悟の境涯を理解しても、「そうはいっても、やはり死ぬのは怖い」というのが当然のことです。「死ぬのは怖い」という当たり前のことを当たり前に受け止めて、なおかつ、日々の人生をいかに充実させるかを工夫していくのが、私たち凡夫の生き方であろうと思います。
さて、本文に戻りますと、道悟の「道(い)わじ。道(い)わじ。-言わん。言わん。」という言葉を聞いても、求道心の強い漸源は納得できませんでした。そのときは、弔問の場ですから、いったんは引き下がったものの、帰り道の途中で、また質問を蒸し返しました。
「お師匠さまは、「道(い)わじ。道(い)わじ。-言わん。言わん。」といいましたが、どうして言ってくれないのですか。ここならば、だれの迷惑になりません。さあ、この場ですぐに本当のことを言って下さい! もし、すぐにお答えいただけないならば、あなたを叩きますぞ!」と漸源は道悟に迫りました。
道悟は、「道(い)わじ。道(い)わじ。-言わん。言わん。」という言葉で、十分に答えていたのですが、修行が未熟な漸源にはそのことが理解できず、「師匠は、ご遺族の前を憚って、言わなかったのだろう」と憶測したようです。

と同時に、道悟の言葉には、人前を憚るという礼法の問題だけではなく、どうやら何か重大な隠れた意味がありそうだと漸源も気が付いて、ぜひとも師匠の解説を聴きたいという気持が高まったのでしょう。漸源の真剣さが「言わなければ叩きますぞ!」という言葉に表れています。
現代の学校であれば、これだけ熱心に生徒から質問されたら、先生は、喜んで丁寧に説明しそうなものです。しかし、禅の指導法は違います。説明してわかった気にさせるよりも、大疑団(だぎだん)を大いに起こさせて、自分で気づきをえるように仕向けます。
道悟は、漸源にむかって、「打つことは打つに任(まか)す、道(い)うことは、即ち道(い)わじ-叩くのはお前の勝手じゃ。しかし、生か死か、わしは言わん!」と言い、あくまでも突き放しました。
すると、若くて血気盛んな青年修行者であった漸源は、勢いで、師匠を打ったと書かれています。「打つ」という単語がどういうことかはわかりませんが、おそらく、お師匠様の顔を軽くビンタしたのでしょう。いかにも、禅的なやり取りをして、いったんは終りました。
しかし、上下のけじめが厳しい禅道場のことですから、いくら禅問答の流れとはいえ、お師匠様の顔をビンタするような乱暴をしたら、ただではすみません。軽くても謹慎処分をうけるでしょうし、場合によったら、道悟禅師を慕う兄弟子たちから袋叩きにあって、十倍返しの「かわいがり」を受けるかも知れません。
この問答があったあと、道場に帰ると、道悟禅師は、漸源を呼んで「お前が師匠を打ったことをわしは気に留めんが、遅かれ早かれ、今回のことは兄弟子たちに知られるだろう。兄弟子たちが知ったらお前を許すまい。けがをしては大変だから、すぐに逃げなさい。」といって、そっと漸源を逃がしてやったということです。弟子のことを大事に想う道悟禅師の親切心、慈悲心が如実に表れています。
漸源は、道悟の禅道場を離れて各地を行脚するうちに、ある寺で、観音経の読経を聴いているときに、「師匠がいわれた「いわじ!いわじ!」とは、言葉の意味ではなかったのだ。元来、仏心に生死はないのだ。言わなかったのではない、言えなかったのだな」ということに気付きました。まだ完全の悟りの眼が開いたわけではありませんが、半分は目が開いたわけです。
漸源は、自分が得た気づきをさらに深めたいと思いましたが、すでに道悟はお亡くなりになられていたので、兄弟子で、禅道場の指導者になっていた石霜禅師のもとを訪ねました。
漸源は、石霜禅師にむかって、「むかし、お師匠様(道悟禅師)との間に、これこれということがあり、生死の問題を尋ねましたが、お師匠様は、ついに答えてくださいませんでした。あなたは、答えてくれますか。生ですか?死ですか?」と問うと、石霜禅師は、「生ともまた道(い)わじ、死とも道(い)わじ-生きておるとも言わん。死んでおるとも言わん」と答えました。道悟禅師と同じことを答えたのです。
すると漸源も、「なんとしてか道(い)わざる?-どうして言わんのですか? どうして言うてくれんのですか?」と重ねて問いかけました。すると、石霜は再び「道(い)わじ。道(い)わじ。-言わん。言わん。」と道悟と同じことを答えました。
表面的には、同じ問答を繰り返しただけのようにみえますが、最初の問答から何年もの間、「お師匠様の真意は何だろうか?仏心に生死はあるのだろうか?」と自らに問い続けた漸源の方が大きく変わっていました。石霜の「いわじ!いわじ!」という言葉を聴いたときに、漸源は、大悟したと伝わっています。漸源は、そのまま、石霜の禅道場(もとは道悟の道場)にとどまって、悟後の修行にはげみました。
悟りを開いた後のある日のことです。禅堂で漸源が鍬(くわ)をもって、堂内を東から西へ、また西から東へとウロウロしていました。それをみた石霜は、「何をしているのだ?」と問いかけました。
すると、漸源は、「先師の霊骨(れいこつ)をもとむ-お亡くなりになった先師・道悟禅師のお骨を探しております。先師の骨を掘り出して、かつての無礼をお詫びしなければなりません」といいました。
石霜は、「洪波浩渺(こうは-こうびょう)、白浪滔天(はくろうとうてん)、何の先師の霊骨をか求めん!-大海の波浪が宇宙いっぱい、天地いっぱいに満ちておる。それと同じように、先師の霊骨は天地に満ちておる。鍬をもってさがし出すような骨など、どこにもないわい!」といいました。
それを聞いた漸源は「まさに好(よ)し力を著(つく)るに-何もないところで、私は探しているのです。力いっぱい努力して探さずにはおれません!」と答えました。
漸源が鍬をもって禅堂をウロウロしていたのは、本当の悟りが開けて、嬉しくてじっとしておれなかったからだと山田無文老師は解説されています。漸源の悟りに唱和して石霜は、「先師の霊骨は、天地いっぱいに満ち満ちておるわい!」と見事な一言をいいました。
それに対して、悟りを開くことができた嬉しさと、さらに修行を進めて、道悟や石霜のような迷える衆生を救える力のある禅者になりたいという決意を漸源は、「力いっぱい探さずにはおれません!」という言葉で示したのでした。この後日談から、漸源が本当に大悟したことがよく分かるとされています。
後に、この禅話に対して太原の孚上座(ふじょうざ)は、次のように批評しました。

「先師の霊骨、なお在り-先師の霊骨はハッキリあるではないか。石霜のところにもあれば、霊骨を探しているお前のところにもあるではないか。仏法がわかれば、その仏法のあるところに、先師の霊骨はハッキリあるではないか!」
孚上座(ふじょうざ)の「先師の霊骨、なお在り」という批評は、この公案を締めくくるにふさわしい一言です。道悟禅師の志を立派に継いだ石霜禅師を誉め、何年もかかって大悟した漸源を祝福しています。私たちも、禅の瞑想により、漸源や石霜のいう霊骨(仏心)を学んでいきたいものです。