祝監督現場復帰

小学校のころからみんなのスーパースターでエースで4番の兜森さん(当時は外川さん)

小学校(青森にいたころの戸山西小学校)時代の1個上先輩で野球部でかわいがってもらい

外川先輩の姿を見ながら、こういう人がプロに行くんだな~と。いつもホームラン級の当たりを見てて尊敬する先輩で人間的にも小学校のころからしっかりした人で、とにかく遠くに飛ばすのしか見たことが無い位すごい人でした。

こちらの記事から

青森山田高校野球部、兜森崇朗監督の挑戦

私は決して県外から選手が来る事を悪くいうつもりはない。その学校に魅力があるから選手が集まるのである。その学校で野球がしたいという選手の気持ちが一番なのだ。

青森山田は青森の野球少年にとっても憧れの存在だと思う。県内出身選手が活躍する事で青森山田に入りたいと頑張る野球少年が増える事が今後の躍進に繋がると思う。

お隣の部長さんの脇野さんも素敵な方で

重度の障害を持ったお兄さんを子供のころから助けながら、お兄さんの分まで頑張るという事で甲子園に出られました。

「兄は、置かれている状況で最大限に生きている。兄の笑顔を見ると私は幸せになる。生きていて意味がない人はいないんじゃないか、と思う」