8050問題と自立

80代の親と50代の子供の引きこもり

最近よく見るニュースにおいて、大人のひきこもり問題が多く

原因に職場、病気、就活等々が中心で
正直すごく共感出来る事多く、

連鎖的に、病気から影響する仕事、お金、体
の三重苦を抱えながら、家族で支えるのが家族が壊れる感じ。

大学生の頃に、就職した会社にて、現在、と体は最近ですが、それ以外って常に問題抱えながらだったなと。

なので、引きこもれる環境がある事が自分にとっては羨ましく見える所で、
引きこもる家がなくなる経験したり、自分の問題じゃないのに自分でお金工面しないといけない時の
悩みをどこにぶつければいいか?

正論を言って、状況を考慮せず、お金の催促がガンガン来る経験とか

そういうのがあると、心も潰れていくのですが
実際に自分の会社でご縁あって、引きこもり、うつ、軽度の精神障害の子の受け入れを始めてからわかったのは
表に見えないけど、問題を抱えている家庭って凄く多い事。

さらにうちの場合は、親から知名度があるからという事で
特例子会社に行ってみて、うまく馴染めずの方の受け皿的な受け入れが多かったので
規模が小さく名前が無くても、本人は最後の砦と思って頑張ってくれる方がいるのは
こちらもすごく嬉しい経験でした。

同じ年代の経営者でも、話をしてみると睡眠薬を使ってる人、精神の場合は処方される薬が何種類もあることと
悩みが1つじゃなくて、人もあり、お金もあり、仕事もあり、家庭もあり、親の介護病気もあり

と、20代の頃は多くは仕事、キャリアスキルアップ中心から
悩みが多様化してきているというのがあります。

また、身近にイキイキしている人がいると比較して自分は、、となってしまう事もありで
答えを示す事や方向性を示す事が難しくなってきているんだろうなと感じます。

多分、自分も表裏一体の場所にいて
100%いい状態というのはなくて、常にプラス、マイナスありながら
プラスのことをできるだけ考えよう

ダメなら笑って自殺しよう

という感覚でいるのですが
そのダメというのが、ほんと難しいところで
うちを辞めた方の場合は、正論を言って正しいけれどもその人のマインド、心の持ちようを外して正論を言っていた。
うまく長続きした際は、数値目標や細かい指示はとりあえずおいといて
同じ目線を心掛けていた事。
相手が興味ある事は、自分もとりあえず見てみるやってみる
マンガを見る、アイドルを見る、ゲームやってみる
おかげ様で、まどまぎものんのんびよりもバイオハザードも詳しくなれました。
というかここがなければ心を開いてくれる事もなかっただろうと。

なので、正論を語る以上に
いけてない自分をさらけ出して、自分もダメダメだから一緒に頑張ろうとか
頑張らなくてもこのスキルさえ身につけてこれできれば
お金もらえて生活していけるよ!とか

同じ目線というのは
どんなに本を読んで、いろんな人にお会いしても
その頼った人が自分がダメな時に助ける事も含めて受け入れたり、仕事仲間にしたり
それが出来る度量の大きい人間になりたいと日々思います。

自分個人は、いつも釈先生の言葉に助けられる事が多くて

命を絶つ要因となってしまうのは環境の変化が大きい要因として挙げられ
その中で、友の大切さを言われており

自分という1個人が認めてもらえない時、憂鬱になり、ストレスを感じ、その先に命を絶つ
きれいごとで命は大事というのは誰でもわかっている。それでも頑張っていけない状況になる、周りの環境も存在している。

私が私が!となるのは人間だれしもそういう心を持っている弱い生き物である。みんな寂しい生き物である。だから友達となって認め合うのが自殺を止める1つのヒントになる。

つまり、環境を変え、付き合う人を変えれば
改善するきっかけになる!と。

むしろ環境をかえれず付き合う人をかえれない所にいる場合
改善の余地は極めて少なく
我が青森において自殺者、自殺率が高いのはそういうのも要因になっているのかなと。

頼る存在が少なくなっているとするならば、そんな今の日本の社会を作ってしまった大人の責任がある。

本来は誰しも自殺したいと思っている人はいなく 本当にアクションを起こすギリギリまでためらうものの、最後の瞬間は引き寄せられる様にアクションを起こしてしまう。
そうならない様になるためにも周りの存在が大切で、相談する(頼る)為の第一歩はまずは、相談にのってあげる環境を作ることから 親子関係、友達関係など。 昔の日本はみんなで頑張ろうという風土があった。 (家庭でも学校教育でも会社でも)
終身雇用と年功序列で仮に能力の低い方がいたとしても それを補う上司や社長がいて、適材適所と教育がなされていた=認めていた。 その職場がその人たちの一生(生活の場)であり、暗黙の了解として勤める会社で定年まで働くというのが浸透していたが

現在、核家族で地域、社会の変化がどんどん進む中 人間関係、お金、家庭など 悩みを抱えている人たちがたくさん溢れている所に ※相談する、悩みを打ち明ける。その相談や悩みを受け止める「人」「組織」「家庭」「学校」「社会」の存在が希薄になっている。

だからこそ、親子、学校、社会それぞれのあり方を改めて考え直すべき時に来ているのではないか。
それがないと誰かがいじめの対象になり そのいじめの対象は弱者に対して向かっていく。 それが子供だったとしたら、その子の将来はどうなるのか? 子供が攻撃されているならば、尊敬出来る親、先生など身近なところに常にストレスを抱えてしまうのではないか。 しっかりとその子の将来やその子が育って作る社会を考えて 大人が自覚を持って接する事が求められている。