11月17日、18日阿波忌部女神ツアー

2002年(平成15年)からスタートし今秋70回目を迎える女神ツアー

皆さんに喜んでいただけるような企画をと様々思いを巡らせて来ました。

タテ型社会からヨコ型社会へ
今、人類は数万年単位のパラダイムシフトと、数千年単位のパラダイムシフト、そして数百年に一度の変化が同時に起きている時代であると感性論哲学は説いています。
数万年に一度の原理の変化の一つは「タテ型社会からヨコ型社会へ」の大転換です。今や「支配は悪」という概念が生まれつつあります。その原理の転換は経営においても「命令と支配と管理」の経営から、「愛と対話とパートナーシップ」の経営へと、時代は大転換を要請しています。人類は史上初めて、支配からパートナーシップを原理とした哲学を獲得しようとしているのです。

古代民族阿波忌部族
しかし、私は一つの例外を除いてとお伝えしたいと思います。その例外を徳島の古代民族阿波忌部族に観る事できるのです。それは日本の古代史の中心的存在であった阿波忌部族の研究を通して知りうることができました。それは大きな驚きでした。

阿波忌部族について
彼らには、自分たちがより勝っているから支配するという観念がなかったのです。阿波忌部族は、ヤマト朝廷発足当初から朝廷の祭祀を司ってきた由緒ある部族ですが、彼らは、阿波を出発して、紀伊、伊勢、遠江、伊豆、そして房総半島に辿り着き、大麻を始めとする農耕技術、織物、海洋技術を、地元民から求められるままに教え、地元民と融合しながら住みついていきました。その事は、関東平野にある多くの神社の由緒に記されてある歴史の事実です。阿波忌部族の人は圧倒的な知識と智慧と技術と種を持っていたにも関わらず、どの地域においても支配していないのです。これはまさに驚くべき真実です。つまり彼らは、高度な平和的感性を持っていたということです。
感性論哲学は、感性を基本とした人間が人間として人間らしいこれからの新しい時代を生きる人間の新しい生き方在り方示していますが、阿波忌部族は、1800年も昔にその生き方を実践していたのです。まさに感動です。

阿波忌部の平和的感性
阿波忌部の平和的感性を知った時「日本人は感性論哲学が教える平和的人間的感性を、学ぶと同時に思い出せばいいのではないか」ということを直観したのです。阿波忌部族は各地を巡って住みついていったので、日本人のDNAの中にその気質は刻まれてきたに違いない。だとすると多くの日本人のDNAの中に、阿波忌部族の平和的感性が眠っているはず。必ず息づいているはずだから、先ず思い出すことが大事なのではないかと強く感じたのでした。

阿波忌部の聖地を巡るセミナーツアー
阿波忌部の聖地を巡るセミナーツアーを開催し始めたのは、2002年のことです。日常から離れ、都会の左脳的合理的科学的思考を離れ、阿波忌部の聖地を巡ることで、右脳的有機的直観的な感性が甦り、DNAをスイッチオンすることができれば、感性論哲学が説く新しい人間の在り方を体現する資質が権限化されるのではないかと願って、ツアーを開催します。

過去を知ることは未来を生きることにつながり、そして「今を生きる」ことに繋がる、そう信じています。

 

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阿波忌部を教えていただいてから、母親の実家にあたる徳島でも地元で知る人はほぼ皆無で、歴史上抹殺されているという事で地元の人も全然知らないんだと思います。多分訪問する神社が殆ど質素な作りである事が歴史から消されてしまっているのだろうと。そして、いろいろ辿るといろんなことが見え始めてきて

現在も天皇陛下が御即位後に初めて行う大嘗祭に「麁服(あらたえ)」を献上しており、また、神山町やつるぎ町には天岩戸伝説にまつわる神社があるなど、その由縁は数多くあります。麁服(あらたえ)天皇陛下が即位される大嘗祭ではお召しになられる麻の織物は、今も忌部直系氏族の三木家のみが調整、調進することになっている。

忌部氏は、古代から大和王権の祭祀を中臣氏と担当していた。本来、伊勢神宮をはじめとする王権祭祀を司っていたのは、忌部氏だった。
特に、忌部は祭祀のための祭具を調達。

阿波勢力(阿波忌部族)は海部とともに大和王権の成立直前となる2世紀後半から4世紀頃に、日本各地へ進出。
彼らは、麻・穀を植え、農業・養蚕・織物・製紙・音楽(弦楽器)・建築・漁業・農業土木技術を伝えた祭祀族、海洋民、産業技術集団であった。
また、近畿に大和王権の象徴となる前方後円墳の諸要素と古墳築造技術を伝えた。そして、大和王権成立の立役者となった。

ちなみに、実家の住所は麻植郡で「麻」がついているのを何も感じなかったのが、忌部を知ってから実は深い意味があるのではないかと。
さらに、個人的に面白いのは吉野川という川の周辺でいろんな著名人が生まれていて、何かがあるのでは??とさらに興味を持つ訳であります。

大嘗祭

天皇が即位後最初に皇祖および天神地祇 (てんしんちぎ) に新穀を供え,これを食べる儀式
その年に収穫された米などを神々に供え、自身も食し、五穀豊穣(ほうじょう)や国家安寧を祈る
古くはこの祭りによってあらたな天皇の資格が完成するものとされていた。

 

 

言葉の由来

「あは(泡/阿波)」→「あぶく(泡)」→「あびる・あみる(浴み)」→「あま(海人/天)」
「あは」→「あわ」「は」→「わ(倭人)」

中国人は、日本語の「わ」に、漢字の「倭」を当てた。
日本人は、日本語の「あま」に、漢字の「天」を当てた。

「わ」「あま」は、どちらも、「あは」から派生した海人を意味する言葉であり、同時に、大王を意味する言葉でもあった。

「新唐書」-「東夷伝」日本伝には、
「其王姓阿毎氏自言初主號天御中主至彦瀲凡三十二世皆以尊為號居筑紫城」という記述がある。
「阿毎(アメ)」を名乗る王の、初めての名は「天(アメ)御中主」だったという。
日本情勢を、そのように中国は認識していたのである。
ここには、外国から王家が日本に来たという記述は見られない。

「あは(阿波)」→「あま(海人)」→「あめ(天皇・大王)」

 

 

 


歴史的に抹殺されている

書物としては残っていないが恐らく歴史的に抹殺されているであろうから公に世には出せないとのこと。 また、士農工商において現在の制度になっているのは江戸時代以降から、その前は士農工商の下には2つ分類されており 実はその1つに天皇家とのかかわりの所があったとのこと。
血統(血をまぜらせたくない)それは卜部族や忌部族はその名の通り、占いをやって、葬式をやっていた。
それも天皇家のを行っていたとのことで、血統がまざっているであろうというのは近親相姦で障害を持つ可能性が高く、血統を大切にするからこそそこに他の血が交わらない様にとのことであえて他の部族が入らない様に排除する形式を持っていたとのこと。
それが藤原家なのか持統天皇なのか武力により抹殺された説が強く。
大きい視点で
これからの時代、平和的な感性を持って農耕、祭祀、などを広めていた忌部族だとするなら、新たな価値観の発見というのは意外と昔を調べれば見えてくるor参考になるor和の精神や伝統って意外と昔々の人たちの活動にヒントがある
ではないか?
信じたいところで。

 

参加者の感想

女性参加者からの感想

2日の阿波の女神ツアーに、参加させて頂きましたこと感謝します。観光バスでは行けない、大切な神社に参拝でき感動しています。歴史にも、阿波から三重県に、移動した忌部の人びと。 私は、忌部神社に参拝したあと、私の祖先はこの地にいたことを確信しました。

おおげつひめの神社では、春分の日に、太陽が神社の真上に来るように、設計されて建てられていることに感動しました。
岩戸神社~とても気持ちがよく、母のお腹にいたことが感じることが多いできました。
大地と繋がり、私のちっぽけさにも気づきました。断捨離をして参加させて頂きましたので、もう物に依存しないで生きて行ける、そんな清々しいはじまりのような感じです。
夜の講座も楽しく、あれから皆様との壁もなくなり、近い存在になりました。皆様との出会いも必然で、昔どこかでご縁があったと思います。親子で、参加させて頂きましたことありがとうございました。また、参加させて頂きたいと思います。

女性参加者からの感想

「女神ツアー」ならでの貴重なるご参拝をさせていただきましたこと、中でも天岩戸神社の盤座御前で、勿体なくも身体を横にして静かに空を見れたひととき、かずちゃんの尺八の音色が心に沁みたこと、私の心の財産になりました。旅の始めから終わりまで和気あいあい、皆さんもとてもいい方ばかりで、私にまでいつもお心遣いをいただきこんなにずーといい気分で旅を続けられましたこと初めてのような気がいたします。

神様の采配かいえいえきっと、まりちやんけんちゃんのお人柄なのだと改めて感じております。

たいへん遅くなりましたが感謝の気持ちをいっぱいにしてひとまずは返信いたします。ほんとうに有り難うございました。 追伸
感謝!

女性参加者からの感想

2日間、阿波の旅に参加させて頂きまして、ありがとうございました。忌部神社に参ったとき、私の祖先はこの地から、三重県度会郡へたどり着いたと確信しました。春分の日にあわせて、太陽が、神社の真上に来るように。おおげつひめさまの神社に参った時は、なんとも感動しました。夜のまり先生のワクワクする講座も楽しく、イナザキ達が岩戸にはいり込んだ岩戸神社♪
バワフルなエネルギーも感じました。生かされてることに気づき、親子で参加させて頂きましたこと、ありがとうございました。また、参加させて頂きます

男性参加者からの感想

昨年11月の参加に続き、今回2回目の参加をさせて頂きました。
1回目の参加時は「こんな場所に神社があるのだ!」という驚きの
方が大きかったのですが、自分なりに少しばかり知識を得た事で2回目の参加に関しては事前知識を持って参加した事が学びにつながったと思っております。

・阿波忌部族については当時の時代に支配するという事が無かった。
(何故当時、支配が当たり前の時代に利他の精神を持っていたのか?)
・歴史を知る事、自分におきかえるとご先祖様の歴史を知る事
・もっと知識を深める事で本当の真実を見るきっかけにつながる

そんな3つの事が1回目の参加後に心の中で感じた事です。
また、歴史を知る事が何故重要で、過去から未来へとつながっていくのか?
私なりの解釈では
今、現在目の前の出来事は過去の事象との関係があり、過去だけではなく将来にも相関している。
だから、現在そのもの中に、その現在も過去も、未来も織り込まれていて
過去と現在を見つめ見極めることによって、将来もまた発見しえるという事!
今どう生きるかで、過去を変えることができる。真実に生きれば、過去を正当化させ、未来も正当化出来るのでは?ではないかと。
その様な思いにさせて頂いたのも阿波忌部ツアーが無ければ思う事は無かったと思いますし、嬉しかったのは徳島出身の家族が忌部ツアーの話を興味持って聞いてくれる!というのが個人的に嬉しく思うところです。

今回は都合上、2日目の朝までの参加になりましたが
1日目に訪問させて頂いた大麻比古神社、山崎忌部神社、八倉比売神社、大粟神社共に質素でありながらも歴史があり、それぞれの場所において言い伝えが残っている。それは今後更に学ぶ機会を与えて頂いていると思って知識習得に励みたいと思います。やはり、何度も足を運んで歴史を知り、現地で感じる事を大切にしながら当時どの様な思いや背景があって忌部族の方々が活動されていたのか?
何故、この場所にこの神社が出来たのか?
どの様な由来(経緯)で天日鷲命(あめのひわしのみこと)、天太天命(あめのふしだまのみこと)が御作りになられたのか?
これらの事をもっと知りたくなりました。

最後に
阿波忌部ツアーに参加するきっかけになったのも母親の実家近くという事で、神様のお導きで、参加させて頂く事になったのだと思っています。それぞれの場所で感じた事、もっと知ろうと思った事、そんな自分の気持ちを忘れずに、調べながら何度も足を運ぶ事で少しでも忌部について学んでいこうと思います。
また、今回ご一緒させて頂いた皆様に感謝申し上げます。
素敵な方々ばかりでまた皆さんとご一緒させて頂きたいと思っております。