ナイーブな話になるのですが、仕事仲間の方が脳出血で亡くなられてから早5年経過。当時ご実家にお伺いした時の様子
まだ30代後半で今の自分と同じ38の時に急に脳出血で運ばれて、1か月後に亡くなられました。
個人事業で行っていた事もあり、都内で活動している知り合いはそこまで多く無かったものの、個人的に付き合いが深く、唯一都内からご実家のある関西の地域にお伺いしたのは私のみだったとの事で、ちょっと切ないなと思いながら、いつもこの時期になると死についてを考えさせられます。家族の一人も余命宣告を受けてから、何か生前に想い出や何かを提供しよう、プレゼントしようという思いにかられるものの、実際のところは本人の立場にならないとわからない事も多く、新しく何かをというよりは寂しさと不安を少しでも取り除く方が大切なのかなと思う時もあり、答えが出ないのですがいろいろと考えさせられることが多いです。

特に、上記の仕事仲間の方は結婚前提にお付き合いしていた方がいて、
その後行方不明で精神を患った様で、誰かの死が誰かに影響を及ぼす事を目の前で見てまた心痛む思いをした記憶があります。
また、何でそういうきっかけが自分に振ってくるのか?も分からないですが、おじいさんになって、病院で安らかにというのは正直少なく、いきなり病気になっていつの間にか亡くなるという。。何ともいえない気持ちになります。
ただ、唯一残されていることの1つに、彼は石の事業をタイで行いたかった。それは生前聞かされていて、いつの日にかもし自分にチャンスがあれば1つの供養としてその事業の一端を担う事が出来ればというのも、頭の片隅に持っていて

いつやるか、どうやるかなど具体的にはなっていないものの、いつか来た時の為に心の中にあたためておく事が大切かなと思っています。
また自分自身が今、生活や仕事など5年前とほぼ同じ感じで過ごしていても、感覚が変わったなと感じるのは以前は将来に目を向けて(3年後、5年後)という視点で見ていたのが、今はだんだんとおしりを見ながらの視点に変わってきているということ。
それを考えるきっかけだったのかなとも思いながら、40までに何を、50までに何を
また体力合ってガンガン動いてというのが仮に60だとしたら残り約20年をどうするか。
そんな感覚に変わってきたというのがあります。
今まで、死というものを崇高なもの、美徳であるという視点で見ていたのかもしれませんが、実際のところはそうではないと。いきなり病気にもなるし、年齢が若くて亡くなる事もある。でも日々のお金の悩みや人間関係も存在している状況の中で、いろいろ悩みも増えてくる。
少し大きな視点で考えると、今後ますます高齢化社会になる中で、残りの人生を考えながら生活をしていく人たちが増えていく中、どう変わってくるのかを考えると、ちょっとした目の前の欲よりも崇高なものを考えていく。そこに対して周りの人たちの存在も大切にしていきたい。もし自分がそうなったら、自分の欲よりも家族、知人、社会に対して何かお役に立てる事をしたいのではないかと思いますし、そう考えれる様になれば1日1日を大切にしようという気持ちになるかなと。
それは釈先生からも教えて頂いた事で
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自分を認めてほしい認証欲






