感性経営における経営の本質と理念

 

経営というと、経営理念ということばかりでは語られて、経営の本質っていうことについて語るって言うことは現実に滅多にありません。理念ということばかりに意識が集中していくと、理念というものが非常に軽快化された、

形式的にまとめられたような理念というものができてしまいます。多くの会社の経営理念っていうものを色々と拝見し、勉強してきましたけど、ほとんどの会社の経営理念が言葉というものが

関連的できれいごとで作れてまとめられているというものが多い。

本当にこういう経営理念というものを持って社員は燃えるのかということが疑わしい…社員の心を本当にを鼓舞してない、だけど理念というものは本来、その理念を意識することによって社員が成長し、会社が発展するという結果がでなかったならば、理念ではありません。

 

力ある理念というのは、よくプラトンなんかは理念といってもですね理性的なものではなく、燃える理念という表現をしております。

 

真っ赤に燃えてないといけない、理念というものが人の心に火をつけなければならないと。

この考え方をあの古代ギリシャのプラトーンも思っておりました。たけど現実に我々が理念としてですね見るものはまったくこの燃えていない。作為的にきれい事で作られたような言葉が並んでいる…常識的で無難な言葉で形作られているものが多いです。だけど本来理念っていうのはいかなるものであるのかって言ったら本来理念というものはその理念を意識することによって人が成長し、会社が発展するという、そういうこの精神的原理のことを理念と言います。理念を意識することによって人が成長し会社があっているすることがでているような精神的原理のことを理念と言います。だからほとんどの会社理念は理念ではありません。

 

それで本当にこの理念というものは全社員の心に火をつけるかということですね。我々ははこれから問い続けていかなければならないと思います。そういうこの人の心に火をつける、人の心燃えさせる、そういう力を持った理念というものを作るためには理念に先立って物事の本質、魂というものを追求していかないと燃える理連は出てきません。今日はこの経営の本質は何なのかということをまず考えてみたいと思います。

 

経営っていうのはどういう風にして求められてくるものなのか、経営における発生学的根拠を探るという哲学的な方法なんですけども。発生学的というのは、物事が出てきた根拠の中に物事の本質、魂があるという、そういう考え方で、これを発生学的研究って言うんですけど。どういうふうな視点であるものが出てきたのかという、そのものの本質がわかるという、そういう考え方、方法論なんですね。

 

経営者はまずは経営者である前に会社を作ります。会社を作っただけではまだ経営は出てきませんし、経営はまだ成り立ちません。会社をつくって具体的に仕事をするために経営者は人を雇います。人を雇っただけではまだ経営にを入れません。雇った人に実際に仕事をしてもらうという段階から経営は始まります。経営の出発点は、社員に仕事の仕方を教えて、そして会社全体としての仕事の流れをつくる…そういう意味ではこの組織をつくると。その組織の中で雇った社員の方々が動き始めるところから経営は始まります。人を雇ってから会社に命が宿って、会社は動き始めるということですね。そこから経営というのが必要になってきます。ということをまず経営においてなさなければならないことは、社員に仕事の仕方を教える。そしてどういうような仕事の流れで仕事をしてもらうのかという会社としての組織というものを社員にちゃんと分かってもらって、組織の中で社員が動くという状態から経営という仕事が必要になります。社員教育という経営者としての仕事が会社の存続と衰退と発展を決定すると。

 

基本は、経営とは人を生かす仕事だと言うことができる。だけど、人を動かすためには会社における組織っていうもののあり方が大事であって、組織がうまく機能をしなければ、仕事の流れが滞って人の協力もうまくいきません。経営というのはまず人を活かす仕事であって、そして組織の中で人は生かされるというそういう組織のあり方を作って行かなければならない。そして経済っていうのはやはり資本、お金ってものが関わってきます。お金というものも人が動いて初めて生かされるもの。お金の根底には組織と人がいます。と考えると経営というのは、人を雇って組織を動かす仕事である。人を雇用して組織を動かす仕事である。というふうに言うことできると。

 

よく経済っていうのはヒト・モノ・カネとか、いろいろなことを言いますけど、やはりも物や金っていうのはこれは手段であって、根底にやっぱり人というものがあって初めて経営というのは成り立つ。人の本質っていうのはその理性であって心というに言われる時代になってきましたから、だから経営の本質というのは人であり、組織であり、心であって、物と金はその手段として使われるもんだと。いうふうに考えていかなければなじゃないかというふうに思われます。経営の本質っていうのは、人を活かし、組織を動かす仕事であるというふうに言える。人を活かすってことは、社員の能力と人間性を成長させて社員を幸せにするっていうことが人を活かすっていうことの具体的な意味です。人を活かすためには人を成長させて、そして人間の本質である心を大事にする、経営としてまず考えなければならない。人を幸せにして、心を大事にするっていうことがないと組織は動かないと。組織の根底には人間というものが存在すると。究極的には、経営とは人を生かす仕事。具体的には経営の本質は人を活かし、組織を動かす仕事であると言わなければならない。この経営の本質というものを持って、経営が目的とするものは一体何なのか。目的とする理念とは一体何なのか?っていうことを考えていくと、企業としてどういう理念っていうものを持たなければならないかっていうと考えていくとそこに感性の哲学の提案する理念、最高の満足を与え、最大の信頼を得る…そういう仕事をして、「さすがにプロ」と言わせようという目標、理念というものが出てきます。全ての職業に共通する究極の理連というふうにを言わなければならないものであります。だけど、経営理念と経営の本質というものをですね、具体的に結びつけていくためには何が求められるのか。それが経営の本質と経営理念を結びつける活動としての具体的な経営実践、経営の仕方、経営の方法論っていうものが、経営の本質と理念の間に入ってこなければならない。

そして、経営実践の第1番目に挙げなければならないものは、先ほど申し上げたように経営者として最初にそれを仕事である社員教育というものが課題になってくると。結果として経営というものが、会社を発展させる、社員を幸せにする、そういう結果を出せるためにどうしたらいいのかっていうのが経営実践、具体的な経営者のなすべき仕事ということになってくるわけですね。

社員教育という仕事を通して、人を成長させ、会社を発展させるという結果を出そうと思ったら、社員教育というのはどういうものでなければならないのか、経営者はまず、経営する第一歩として考えなければならない大きな課題であります。究極的にどうすれば最高の満足を与え、最大の信頼を得るという結果が出る会社になれるのか。そのための最初の仕事である社員教育として、どういうことが求められるのか。っていうことまあ全体として5項目にまとめると、まず第1番目の教育の目的は、結果を出せるところまで指導をするという教育ををしなきゃならない。社員教育っていうのは教えるものが言葉で語って、ミスをした時に「なぜ言ったとおりにできないのか」と部下を責めるというのが社員教育の実態…。しかし、それは教育ではない。本当に教育っていうのは企業における社員教育というのは、結果を出すことができるところまでちゃんと教えないと、社員教育ではない、職業教育ではないと。結果が出るためにはどういうことをした良いのかっていうことを結果が出るまでちゃんと寄り添って付き添って教えていくと、いうことが実践的な教育であると。それは身についた仕事の実力を持たせる方法である。これがまず社員教育において一番考えなければならないところであって、だけどほとんどの社員教育は、言葉で語って実戦は個人に任される…。教育するものが仕事における結果が出せるところまで教えないと。有名な山本五十六の言葉があって、これも誰もがよく知っている言葉だと思うんですけど、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ」。いろんなところで使われている言葉ですけど、いわゆる社員教育の基本ですよね。

詮ずるところ、ちゃんと結果を出す、うまくできたという結果が出るところまでちゃんと付き添って教えて、初めて教育になるのであって、言葉で言っただけで結果が出せる努力するのは個人だというのは、職業教育ではないと。職場、会社における教育は学校のものとは違う。職業教育は仕事における結果が出せるところまで教えて初めて職業教育だと。ここのところをちゃんと抑えないと、社員教育というものが実を結ぶはないのではないかというふうに思います。

最高の満足を与え、最大の信頼を得る仕事をするということの最も土台になければならない教育のあり方だと。

2番目の社員教育における大事な問題点は、誰でも長所短所半分ずつあると。

人間は叱られたくない、注意されたくない、批判されたくない。教育っていう面においては、まずは良い所を見つ出してそれを褒めて伸ばすっていうことが、まずは人を育てる基本である。だけども人間としての人を育てるためには、短所もちゃんと教えなければならないと。だけど短所はなくす努力をさせてはならないと、短所は出てこないように気を付けさせるということが、短所を教えるための課題である。その短所がなかったら人間ではないからです。仕事において最も大事な謙虚さというものを人間の核として作られないから。短所をなくすことは、人間を傲慢にし、謙虚さを奪います。これはある意味で人間をダメにする教育だと。短所があることを忘れさせないということが非常に大事である。良いところ3つ出してあげて、良いところを褒めて伸ばしてあげることの次にしなきゃいけないことは、短所を教えてそして短所が出て来ないようにすると。慢心をしない、防御というか転ばぬ先の杖となる、そういう人間誰しもが長所短所が半分ずつだということを教えることによって、お互いに攻め合いをせず、助け合おうという人間になれる。みんなお互いに助け合わなければならない、相互という関係性であるんだということを社員に自覚させることになると。

社員と経営者、リーダーとフォロワーとの関係性からいったら、フォロワーの仕事とは一体何なのかというと、follow って言葉には2つの意味があって、ついていくという意味とフォローする、補完する(足らざるところを補う補完する)という意味がある。だから社員は経営者の事をいろいろと批判したりするんじゃなくて、組織というものを維持していくためにはまずは社員はリーダーに従わなければならない。もしリーダーの問題点があったならば、フォロワーはリーダーに恥をかかさないようにそれを補完するという役割を自ら見出して、それをやり遂げなければならない。やり遂げるために人間は不完全であって、誰でも長所短所があるんだ、リーダーにも短所があるんだ、それを補わなければならないと。組織というものにおいて、仕事をする場合の人間関係のあり方として一番大事な問題であると。

 

3つ目の社員教育の原理は、基本的に教育といっても教は育を越えてはならない。教育の目的は育てることにある。教えたら個性をつぶす、だけど教えないと仕事は始まらない…ある程度のマニュアルは教えなければならない。だけども教えるというマニュアルは個性を認めないような教育であったのでは、これからの時代の会社をつぶれる…。まずは教は育を超えてはならないということを念頭に置きながら、どういう教育をするかって言ったら、答えを言わないで問いかけて考えさせるという、開発教育をしなければならないと。リーダーは答えがわかっていながらも、「こういう課題があるんだけど君はどうしたらいいと思う?」と社員に聞いてあげて、社員に「こうしたらいいんじゃないでしょうか」と提案をさせる。提案をしてきたら「じゃあそれでやってみるか」とやらせて、失敗することがわかっていてもそれでやらせて失敗させて、

結果、その問題をさらにこの解決に導くためには「今の段階だったらどうしたらいいと思う?」とまた質問して、提案させる。最終的にうまくできたという結果が出るまで、問い続けて答えを出させ続けて、そしてやったねと、よくできたねって褒めて終わるという教育が必要である。これは開発法。

教育には教育方法で教育原理として注入法と開発法っていうのありまして、注入法は強制的に教える。開発法っていうのは育てるというやり方。答えを言わないで、答えを分かっていても本人に答えを言わせることによってその人の持っている能力、才能を引き出してあげる、ことは第3番目の社員教育として大事であります。

続いて4番目の鉄則は、教育というのは決して挫折をさせてはならないと。途中でやめさせるようなそういう教育は教育ではないと。教育っていうのができないことをできるようにすることであり、分からないことを分かるようにしてあげることが教育なのであって、わからない、できないという状態で終わらせたらそれは教育ではないと。教育は挫折させてはならないというところにその主眼がある。そのためには教育とはできたわかったという感動の連続でなければならないと。だからできるまで付き添って、できる・できたという力がつくまで、やめさせないで頑張らせる、というところに教育の主眼がある。そのことによってどういう結果が出るのかって言ったら、ヤッター、わかった、できたっていうその感動を与え続ける教育をすることによって、社員の中にどこまでもより高度なものを求めていきたい、どこまでも厳密なものを求めていきたいという成長意欲をもたらすもの。もっと上のものを求めていこうとする価値への情熱、価値への欲求というのが出てくると。

社員自身が仕事の喜びあるいは仕事の意味、仕事というものの素晴らしさを実践的に感じるようになって、教えなくても自ら求め成長していくという力が社員に宿る、社員を1年前の社員として仕事人として自立させていくための大事な原理ですね。いつまでも教えていたのではキリがないので、どこかで自立させなきゃならない。それ自立ということはどういう風にして起こるのかと言ったら、社員自身がもっと高度なものを求めていこうという努力をし始める、もっと厳密なものを求めていこうと努力をし始める。価値への情熱を

持って仕事をし始めれば、一人前の仕事人になる。それ以前は半人前でまた独立はさせられない。これも社員教育の大きな目的ですね。

 

最後の5番目は、仕事を通して心を育て、仕事を通して人格を養うということですね。心を育てるためには人間関係の問題っていうのを通して、人間性を成長させる必要があると。心遣い、思いやり、そういうものは、人間関係の問題で苦しむことによって、心遣いができるようになり、心が成長してくるということになる。具体的に仕事というものにおいて、確たるちゃんとした結果が出せるという力を獲得していくためには、謙虚さと成長意欲と愛というこの3つの人間の核をつくる原理っていうのが求められてくる。本当に仕事を得て成功したいと思うならば、確実に謙虚さと成長意欲と愛、というのが求められてくる。傲慢な人間はもう原理的に成功できない。また成長意欲が止まった人間はもう会社の発展をさせる力はない。そして愛のない人間は人に喜んでもらえるような仕事の仕方はできない。これでは会社は潰れる。とにかく会社が潰れないで成長を発展していくためにはどうしてもこの謙虚さと成長意欲と愛は欠くことのできない重要な原理だ。それは同時に人間の核を作る原理でもある。だから我々は仕事において成功すると努力することに必然的に人間の核が備わり、核を持った人間になれるんだ。そして仕事を通して人間の核を獲得することによって人格は身につく。仕事をしなければ身につかない。職業を通してしか、本当の人格は身につかないし、実力としての人格はできないと。このことも教育として教え、あとはそれを実践させる。これらが社員教育の5つの鉄則であります。

 

社員教育のなかで基本的にのこの仕事と何なのかっていうことをまずはちゃんと自覚させておくということが大事であって、具体的に仕事の入る前に職業観というものをちゃんと教え込んでおかなければならない。職業観と一体何なのかって言ったら、職業とは人を幸せにして自分も幸せなの活動である。まず自分が幸せになろうと思ったら人を犠牲にする。人を幸せにする力をつくらないと本当には自分は幸せになれないっていう、職業という社会的につくられた職業という仕事というものの本当のあり方だと。人を幸せにして人に喜んでもらって人に感謝してもらって、はじめて報酬としてのお金が入ってくる。そのことによって自分も幸せになり、自分も生きがいを感じ、心は満たされて、人の役に立つという生き方ができる。順序として、自分の幸せをまず求めてはならないと、人を幸せにしなかったら本当には自分も幸せにならないんだっていうのが職業を通して人間が幸福を手に入れる方程式ですね。自分の幸せを求めると必ず人を犠牲にして人を踏み台にする、人を悲しませて本当に自分が幸せになることはない。人を犠牲にして自分が幸せになることは一時はあってもそこには永続性はない。必ず人の悲しみ、不幸は自分に返ってくる。まずは職業っていうのは人に喜んでもらえるような仕事の仕方をして、人を幸せにすることから仕事を始まるのであって、その結果として自分も幸せになれる。やりがいや生きがいを感じるという結果に結びついてくる。それが職業のですねあり方だと。職業というのはまずは人に喜んでもないと、仕事にならない。

 

二つ目は職業とは人に喜んでもらえるような仕事の仕方ができる能力と人間性を養い、職業人として本物の人間になる活動、これが職業であると。という意識を持って仕事をしてもらう。お金のためにするんじゃない、仕事は自分を本物の人間に成長させるために仕事をするんだと。その結果として本物になったレベルにおいてお金はわんさか入ってくる、お金は後からついてくるものであってお金を目的にしてはならない。だけど、仕事っていうのは常にお金がつきまとう。うっかりするとほとんどの人がお金を目的に仕事をするという仕事の仕方になってしまっている。だけど、仕事の目的がお金になると人間は確実に悪賢くなってしまって金になることしかしようとしなくなってしまう。それで利害打算で動く人間になってしまって、お金に操られお金に支配され、お金に媚びるような、そういう醜い人間になってしまう。そしてお金を目的にし始めると、心遣いとか謙虚さというものもお金のためであると考えて、お金を儲けるための手段として心遣いをするようになって、結果として愛想笑いとか営業笑とかって言われるようなそういう人間性がお金のための手段として使われるような状態になってくる。だけど、そういう営業笑いや愛想笑いっていうのは必ず客に見抜かれてしまう。「本当は心ない奴だ」と、愛想笑いすることによって軽蔑される、馬鹿にされる、そうなってしまって仕事はうまくいかない。だから、仕事の目的はお金ではない、仕事の目的は今後の人間に自分自身を鍛え上げるということが仕事の目的であって、人間が本物になるに従ってそれにおいてお金が入ってくるという構造になっておるんだということを教えなければなりません。

 

教育後に自立して仕事をし始める段階に入ってから、自分自身が仕事において成功して結果が出せる状態になっていくためにどういうことを考えて覚えなければならないかというと、教育をされることを終わって自分自身で自分を教育していく、自立した仕事をする時に心掛けなければならないことは、信じるに足る自己をつくるということを意識において努力、必要がある。自信を作る、信じるに足る自己をつくる、自分で自分が信じられる。自分が自分で信じられないような人間を誰が信じてくれる。まずは人に信じてもらえるために、自分が自分で信じられるって自分を作る、これが自立した人間の仕事の仕方の基本だと。

 

自信をつくるためにはどうしたらいいのか?その実践的方は何だろうか。というと3つあって、人間は理性・感性・肉体という要素から成り立っているため、自信をツールつくる原理も3つあると。理性という観点から自信をつくるということと、感性という観点からの自信をつくる、肉体という観点からの自信をつくっていく3つの自信のつくり方が、有機的に絡み合って自信が湧いてくるという人間になれる。この3つの中のどれが欠けても自信が湧いてこない。おのずと、自然に自信が湧いてくるって状態になるためには、理性・感性・肉体の協力が必要なんだと。この3つの自信のつくり方が揃った時、命から自信が湧いてくる。どんなに立派になってもなかなか自信が持てないという人は、この3つのどれかが欠けてるか、バランスが悪いんですね。なかなか仕事に自信が持てないという人はずいぶんたくさんいます。そうとう高い高い地位に立っても、自信が持てないという人たくさんいます。この3つの原理が揃ってくると自ずと自分でもなんでかと思うほど、自分で自分が信じられ、自信が持てるという人間になることができる。

やっぱり成功する人間、自立して仕事している人間っていうものは、自信というものを周りに感じさせるようなそういう人間にならないといけないと。自信を持っている人は、「あの人はすごいこと言ってくれる」「さすがプロですね」とも言われるようになる。

理性という観点から自信をつくろうと思ったどうしたらいいのか、残念ながら実力の世界に出て行くと、学問との関わりを見失ってしまう人が多い。だけど、学問との関わりを見失ってしまうと、その人の成長には限界が出てくる。多くの職業人は、体験というものから得た自信だけで仕事をしてしまう人が多いんですよ。だけど体験というものは個人的なものですから、体験的自信というものはこの限界を越えがたい。自分は自信があっても他人から見たら、「それはあなただけのものなのでは」と言われたら、自信がぐらついてしまう、そうなってしまいやすい。だけども社会の中で仕事をしている限りは、体験から出てくる自信だけではなく、多くの人にそうだと言わせるようなそういう、多くの人を納得させれば自信というものを作っていかなければならない。そのためには何が必要なのかと言ったら自分の仕事に関わる学問的知識、学問的根拠を持った技術、学問的な教養ってものを身につけていかないと多くの人が納得してくれない。そうでなければ、その人の実力は社会的価値はない、自己満足で終わってしまう。

そのために職業人は、自立した人間であったならば、体験的自信というものに付け加える理性的自信、学問的自信っていうものをつくっていかねばならない。

自信を持って発言し、自信を持って行動するために人類は学問をつくりました。学問の意味は自信のある言動のために学問はあります。そして学問っていうのは、多くの人はそうだと認めなければならないと強制的な根拠を持ったものが学問的知識と言われるものです。これがあることによって初めて、この職業人は多くの人から認められて、多くの人から信頼されて仕事をしていく。理性という観点から崩れようのない自信というのをつくっていくための原理です。学問的根拠を持った知識、技術っていうものは積み重ねであって崩れようがない。だけど個人的な体験に基づく自信は他人から批判されるとすぐぐらついてしまって、崩れてしまう。だけど体験的自信も大事なので、体験的自信も必要なんですけど、体験的に得られた自信だけで仕事をしてはこの限界を越えがたい。少数の人にしか認められない。すべての人に認められようと思ったら根拠を持った学問だけ知識が求められる。兼ね合わせてはじめて、自信が湧いてくるということです。

 

続いては、感性という観点から自信をつくっていくためはどうするか。

人間における感性を心という。心とは感じるものだから、人間における感性は心という段階にまで進化した

感性である。心とは何なのか、心とは意味と価値を感じる感性。人間は意味を感じることによってやる気になる、価値を感じることによって価値や素晴らしさを感じることによって命に火がつく、燃えてくる。意味と価値を感じないと人生ではない。意味と価値を感じなかったら機械であり動物だ。人間として生きていくためには意味と価値を感じる、という言葉ですね。人間的に生きるためには求められる。そして人間が本当に意味や価値を感じたならば、必ず人間は、このためなら死ねるこのためなら人生をかけられるという思いに到達する。どんな仕事をしておっても、今自分でやっている仕事に意味や価値や値打ちや素晴らしさを感じたならば、最高に意味を感じたら人間は死ねるんですね。死ねるって言ういうものを持った時、何ができるのかは信念です。信念とは死ねるということ。信念のある人というのはそのことためなら死ねるという思いを持った人間を信念を持った人と言うんですね。命をかけられるという状態を信念を持った人と言います。信念を持つと自分でもぐらつかない自信というの湧いてきますし、また燃えて生きるって言う形をしていると、傍から見ても、神々しいっていうのか、やっぱさすがプロだなあというそういうプロだというようなことを感じさせるようなね、熱のこもった心のこもった仕事の仕方ができますので、多くの周りの人からも信頼されるということが付け加わっていきます。そのことによってもさらに自信が湧いてくるという状態になれる。今自分でやっている仕事に人生をかけられるか、今自分のやっている仕事に命をかけられるということを自分に問うて、どんな仕事でも最高に意味を感じたならば、必ず死ねると思いが湧いてくるんだからそこまでいかないとプロじゃない、そういう思いを持って我々は今自分でやっている仕事の意味、価値、値打ち、素晴らしさを追求していく。自立した職業人ならそれをやらないかんと、教育されている間はなかなかそうはいかんけども、自分で自立して仕事をしていく一人前になったら死ねるって思いを持って仕事をしてなかったら半端だと。

 

次は肉体。肉体という観点から自信をつくるにはどうするか。肉体からくるところの人間的価値とは、体験なんですね。体験とは、真実を語る力であって、体験っていうのはやった人間にしか分からぬというものを与えてくれるものだ。だから議論をしても、「お前やってないやろ。俺はやったんや。やってない奴に何が言えるんや」と言って勝てるんですよ。どんな知識を持っていても、行ってみたらこうなっていたと言ったら、どんなにたくさん知識を持ってる人間でも、反論できない。行ってみたらこうなっていたと言われた納得するしかない。それほど体験には有無も言わせない力がある。そのためにも体験、仕事は大事なんですよ。肉体を使った活動、仕事というのはそれだけの思いか違う。この立場に立った人間にしかこんなことはわからん、こんなこと言えん。そういうのがあるんですよね。だから出世することが大事なんだ。下のものからは上のことは分からない。だけど、下からだんだん上がって上がってきた人間は下の人間の辛さがわかる。いろいろわかってあげることができる。その体験というものの価値、体験は真実を語る力だ。そして、人生とはまさにその体験の積み重ねなんだ。人生はすべて自分の肉体を使った日々の積み重ね。それが人生だ。だから我々は年を重ねるごとに真実を語る力が増えてきてだんだんだんだん本当のことがわかってきて、自信を持って発言し、自信を持って行動することができるようになっていきます。

 

理性、感性、肉体という観点からつくられる自信、学問的知識と信念と体験、これらが重なって命から言わず語らず自身が湧き上がってくるというね、そういう人間になれるわけであります。だけど体験的自信があり、信念はあっても学問的な自信がない、理性的自信がないと本当の自信はまだ湧いてきません。また学問的な根拠を持った自信があり信念があっても体験が乏しいと自信は持てません。体験の自信があり、理性的な学問的な自信があっても信念のない死ねるという思いのない人間には本当の湧き上がる自信もありません。信じるに足る自信をつくるには、理性、感性、肉体の3つの要素から自信をつくっていくっていう努力をしていく必要がある。独立し自立した職業人のまず考えなければなら課題であります。自信のない人間を誰も信じてくれないということをまず知る必要があります。

 

2番目の課題は、問題を恐れないという生き方をする必要がある。自立した職業人は問題を恐れてはならない。究極的に最高の満足を与え、最大の信頼を得る仕事ができるという状態にし、さらに理念を実現する状態に自分を成長させなければならない。問題を恐れない、問題が出てくることを恐れてはならない、問題が出てこないことを願ってはならない、問題にたじろいではならない。なぜなら問題っていうのは、自分を成長させるために出てくるし、会社を発展させるために出てくるんだ。その問題から逃げてどうすると。そして問題を恐れないという人間に本当になろうと思ったならば、どんな問題にも答えがあるってことを忘れてはならない。答えのない問題は無いんだってことを忘れてはならない。どんな問題でも答えがあるんだから問題を恐れるに足らない。では、なぜ問題には答えがあると言えるのか。本当の問題っていうのは今自分の持っている力ではいかんともしがたいっていう問題が本当の問題であって、今自分の持ってる力で解決、乗り越えられるような問題はそんなものは問題じゃないと。じゃあ自分の今持っている力でなんともならんって問題は何で出てくるんだ? それは実は自分を成長させるために、自分という命をつくった母なる宇宙が自分に与える問題、これが今自分の持ってる力でなんともならん問題なんだ。

 

今自分の持ってる力でなんともならないという問題が出てくると、あきらめずに努力しておれば必ず命から新しい潜在能力が湧いてくる、命から気付き、知恵が湧いてくる。これは今自分が持っている力でなんともならんという問題が必要だっていうか、出てくる理由なんですね。じゃなんでこの自分の今持っている力でなんともならんって問題が母なる宇宙から自分に与えられた仕事だと言えるのか。まず基本的に人間は宇宙であるということを忘れてはならない。我々一人ひとりが大宇宙の一部分なんだ、宇宙は自分の外にあるんじゃない自分自身宇宙なんだ。だけど自分自身は確実に宇宙の摂理の力によって作られて存在している。だけど宇宙は外にあるんじゃない、自分自身はそのうちの一部分だ。だけども自分は寄贈物であって自分をつくった宇宙の力は自分の個の限界超えた大きなものだ。環境の激変という問題を命に与える。それがなかったら命は進化してない成長しない。だからガラパゴス諸島の生物たちは、何万年経っても環境が変わらないから、命や形が変わる必要がないから進化する必要はない。成長する必要がない。成長しようと思ったら成長させようと思ったら、今持っている力でなんともならんって問題を与える必要がある。だから我々はいかなる問題や悩みが自分に振るかがあろうとも、それは自分を進化、成長させるために母が与えた愛ゆえの試練だってことを忘れてはならない。愛なんだ、問題は愛なんだ、悩みは愛なんだ。それをわかってくると、問題が問題でなくなってしまうんですよ。問題を問題だと思っているから問題、問題は母の愛。それで自分を成長させるエネルギーになってくる。だから、問題を恐れない。問題にたじろかない。問題が出てくることを嫌がらない。これが人生を生きる力をつくってくれるんですね。

 

3番目は、自立して仕事をしていくためには常に今自分の持ってる力の限界に挑戦するということ。限界に挑戦ということを忘れてはならないし、今自分にとって不可能なことを可能にするっていうことが仕事なんだってことを忘れてはならない。まだ教育されている社員の仕事は、今自分の持ってる力の限界内の言われたことをやってたらいいんだということですけど、教育が終わって自立して仕事をしていくためには会社を発展させなきゃならない。そのためには今の限界を突破しないといけない。ただ仕事をするってことは限界の挑戦だ、仕事をするってことは今不可能なことを可能にしていくことが仕事なんだということです。これを忘れてはなりません。

てんぶなるところで努力をすればてんぶあるからてんぶが出てくるからどんどんどんどん仕事は楽しくなってくる。てんぶのないところで???ところで頑張ると苦しくなる、辛くなる。

 

限界の挑戦っていうことをし続けておれば単に潜在能力が出てくるだけではない、人間そのものは宇宙だから、本当に諦めずに結果がでるまで努力するという頑張る方をしておれば、潜在能力が出てくるだけでなく、命には宇宙の全エネルギーが凝縮して存在しており、命には摂理の力が働いている。だからこの本当に自分が、あきらめずにがんばるという仕事の仕方をしておれば、必ずこの宇宙から湧き上がる、いわゆる火事場の馬鹿力と言われるものも可能になる。

 

人間に与えられてる遺伝子としての潜在能力だけでなく、宇宙の持っているエネルギーというものが命から

湧き上がってくる、命が持っておる底力、湧いてくる力を体験することができます。我々は自分自身が宇宙だから命の中にを宇宙エネルギーが凝縮されて存在している。人間の命は、宇宙の摂理の力で生かされている。だから寝ていても死なないんだ。生きていること自体宇宙エネルギーだ。摂理の力だ。それが目覚めれば、命の底から湧き上がってくるような、個の力も我々は持つことができる。人間が最高の力を発揮できる原理なんですね。

そういう事の為に我々は、限界の挑戦、不可能を可能にするという挑戦をしていく必要があります。

 

次は4番目。意志の強い人間になるために決断にかけるという生き方を覚えなければならない。人生は賭けだ。仕事も賭けだ。理屈じゃない、賭ければ理性でそれ以上の仕事ができる。本当に意思の強い人間になる。物事はうまくいくまで、結果が出るまで、成功するまでやめないという意思の強い人間になるためには

人生は賭けだ。という生き方をする必要がある。感性の哲学では、意思の強い人間は理性的な人間ではなく、欲求の強い人間だということを申し上げております。だけど欲求だけでは野獣だ、人間になるためには意思が必要だ。欲求と意思とはどう違うのか?意思の強い人間になるために何が必要なのか、まずは欲求が強いことは大事だ。欲求が大きいことが大事だ。お金が欲しいと思ったら理性で考える。どうしたらお金が手に入るか考える。仕事もある競輪、競馬もある、宝くじもある、ひったくりもカツアゲも泥棒もある。どの方法でお金を手に入れようかと決まったとき意思が決まる。すなわちナチ欲求と意思との間には、理性的決断行為が介在する。理性的決断にによって意思が決まり、意思の強さってものがつくられる。では決断とは何なのか。この決断と何なのかがはっきり分かることによって本当に人間的な意思の強さを持った人間になれる。決断とは?辞書では決断とは選び取ることということを書いてありますが、決断の眼目は決めることにあるんじゃない、断つことにあるんだ。あるものを決めて選び取ったならば、その時選び取らなかったものの中にどれだけの素晴らしいものがあったとしても、あるものを選び取ったら他のものへの想いを断ち切る、逃げ道をふさぐ、退路を絶つ、「俺にはこれしかない。俺にはこいつしかおらん」という思いを持つことが決断という行為なんだ。することによって、いかなる問題が来てもですね逃げない、立ち退かない。あとは出てくる問題をバカになって調べとることしかない。他人のせいにしないで、全部自分のせいにして自分で乗り越えていくという勇気ある決断。これは迷いのない悔いのない人生を生きる方法だ。決断しなければ、本当の悔いのない人生は歩めないし、決断しないと迷いが生じる。逃げ道を断ち切れないと迷いが生じるんだ。

決めただけで行ってしまうと、なんか問題出てくるとね、「これに決めたのが間違いだった」と「ひょっとしてあちらの方にしておいたらこんなことにはならならなかった」…そういう反省をしちゃうんですよね。理性ゆえの迷い、理性は完璧さを求めるから、問題が出てくるためが間違っちゃったと思い、他のの道を

考える。これは理性ゆえの迷いであって、一番人間にをが陥りやすい人生の罠だ。決めたらどんな問題はできてもその問題の力を乗り越えることが成功の道なんだ。ということを忘れてはならないと。出てくる問題を乗り越えたら成功できる、出てくる問題を避けようと思って、困ったと思って他の道を考えたら、それは失敗の人生。挫折の人生だ。とにかく決断に賭ける。

 

最後の5番目は、仕事の意味と価値の確認。常に毎日毎日しなければいけない。自分のやっている仕事がどういう意味で、どういう価値があるのか、どんなに素晴らしいことなのか。そういう思いで仕事をしなかったら命は燃えない。本当には仕事に情熱はこもらない。最後の決め手となる大事な課題であります。教育の仕方、社員教育の仕方と、自立したあとの人間の生き方というものを積み重ねていって、その上にさらにこの完成系の10原則というものを積み重ねていって、確実に理念、最高の満足を与え最大の信頼を得る、という仕事ができる人間に成長することができます。仕事の本質である経営の保持は、人を活かして組織を動かす仕事である。経営の理念である最高の満足を与え最大の信頼を得ると言う、そしてさすがプロとと言わせるこの理念を達成する。この方針と理念を結びつけるためにどういうことをしなきゃならないのか。ここに

実践的な経営の内容が、本質と理念との間に介在するこの事をやるということの中に、経営の実践とは何なのかということの内容はですね、全部出てくるわけですね。

 

経営理念ばかり言って経営の本質をあまり言わないから、具体的なこの方法論としての経営とは何なのかという実践的な内容が確定してないんですね。ぐらついている。経営の理念と本質がはっきりすることによって経営の柱ができますから、だからその中にどんなものが入ってこなきゃいけないかっていうことを明確に理解できるとうなそういう体系が生まれてきます。

経営の本質ということについて考えるための重要性と経営の実践とは何なのかということについてお話をさせていただきました。