変化の月

変化の月という事で、今月から実家が変わりまして

青森県人だったのが、南の地、四国の人間になりました。

ちょっと振り返ると、大仏様や太宰とか思想に触れる事が多くて学生運動が盛り上がってた頃の話を親から聞きながら、お近くに斜陽館があるので、自然と思想と文学を学ぶ環境下にいたのかもしれません。

物心つく前から、長らく見守って頂いてたご近所付き合いの昭和大仏

おしりのところに入口があって、おしりの中にこんな素敵な言葉があります。

 

さらに、地獄極楽図というのがあり、
人が死に魂が抜け出していく場面に始まり
死体が朽ちていく様、死者の衣類をはぎ取る脱衣婆、血の池地獄、舌を抜いたり体を切り刻む鬼達、人を食らう竜、がりがりに痩せてお腹だけが膨らんだ餓鬼、恐ろしい三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)の世界、そしてきらびやかな天の世界が描かれ

→これらを用い「善因善果、悪因悪果」(良いことをすれば、良い結果が、悪いことをすれば悪い結果がやってくること)や「勧善懲悪」、先祖供養の大切さが伝えられています。

地獄・餓鬼・畜生・修羅・天の世界は死後に生まれ変わる世界であると同時に今生に立ち現れる世界

生きている間も死んだ後にもこのような恐ろしい世界へ落ちていかないために善因となる心と行動と言葉を心がけなければなりません。

とのお伝えらしく、ご先祖様の供養をする場所として、大仏様の中の2階に上がると真っ暗の部屋の中に何百本とロウソクの明かりだけの部屋があり、当時県内から出兵し戦争の犠牲となった方々のためにという事で写真で見る様な綺麗な外観とは全然別の景色があります。

そんな10代の実家を青森市で過ごし、20代からは金木町へ

金持ちの山源さん(太宰)のすぐお近くで、斜陽館を日々見ながら太宰を見てました。

個人的には、太宰系?の人間の不条理、心の闇をとことんまで追求した作家や書籍には不思議と魅力を感じる時もあり、+
世間受けしないドストエフスキー、カフカ、阿部公房、サルトルなど、マイナスの極限に達する様な人ととにかく人生は不条理なのだ!という方々の強烈なインパクトのあるのを好んでいました。。

太宰は賛否両論別れて、天才と評価する方からは
自己破滅型の天才(非常識な感性を持つがゆえに常軌を逸して健康を省みず、感受性が高すぎて傷つきやすい)だそうです。面白いのは、凄い!かダメ!の大体どちらかの評価しか聞いた事が無く、嫌いな人は全然興味なしで、好きな方はものすごく興味ありで、走れメロスより人間失格なんだなと感じます。

三島由紀夫もそんな自己破滅型の天才なのか?

は分かりませんが釈尊も「生老病死」の存在として人間を直視するところからでマイナス思考からの出発(人生は苦である)ありのままの姿を捉えて、現世を生き抜く事こそ大切だと。

五木寛之、大河の一滴からも
他人に期待しない。人生に期待しない。
マイナス思考のどん底のなかからしか本当のプラス思考はつかめない。

極楽はあの世にあるのでもなく、天国や西方浄土にあるのでもない。この世の地獄のただなかにこそあるのだ。極楽とは地獄というこの世の闇のなかにキラキラと光りながら漂う小さな泡のようなものなのかもしれない。人が死んだのちに往(い)く最後の場所では決してない。