9月28日(金)禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会開催します。

日時 2018年9月28日(金)19時~21時(開場は18時30分から)
場所:和泉橋区民館 5階洋室D
〒101-0041 東京都千代田区神田佐久間町1丁目11−7
JR秋葉原駅昭和通り口から徒歩2分
都営新宿線岩本町駅から徒歩3分
東京メトロ日比谷線秋葉原駅から徒歩1分

今年後半ということで
前半の振り返りを行うと

主だったテーマ(人物)としては
佐藤一斎
についてを取り上げて

「言志四録」
「日本の論語」「人生訓の名著」「指導者(リーダー)のための教科書」と言われる『言志四録(げんし-しろく)』は、江戸時代末期の儒学者、佐藤一斎(さとういっさい)が著した随想録・語録です。

「重職心得箇条」
幕末の天保・弘化の頃、幕府教学の大宗であった佐藤一斎が、その出身地である岩村藩(岐阜県恵那市)の為に作った重役の心構えを書き記したもの

 

興味を惹かれる箇所としては
リーダーを創る基礎となった人だということで

一斎先生の門に学んだ人々は数千人になるといわれますが、その中でも有名な人物は、山田方谷(やまだ-ほうこく)、佐久間象山(さくま-ぞうざん)、安積艮斎(あさか-ごんさい)、大橋訥庵(おおはし-とつあん)、横井小楠(よこい-しょうなん)など、幕末を代表する学者や思想家がいます。

その佐久間象山から学んだのが吉田松陰という事で、吉田松陰の考え思想の基となった1つに佐藤一斎が関わっていたであろうという事。

当時は情報が今と比べて圧倒的に少ない時代だった為、ビジネス書とかセミナーの様なものは殆ど無く
寺子屋、書物(それも一部)と家族、村、と情報が限定されている中で思想信条を固めるしかなかった。

ただし
それが今も受け継がれているのは何故か?を考えて見ていると
何かしら大きなる発見や業を成すよりも知識人として学者さんとして教えを説いた方が強いのが
・佐藤一斎
・佐久間象山
・吉田松陰

当時は業を成す(戦に勝つなど)事以上に

根本に考え、思想があって
こう日本はあるべきだというのを
座学だけではなくて、上の立場の人に積極的に進言していた事で
上の人間には提言し、門下生には勉強させるだけではなく説いていた。

佐久間→朱子学→横浜開港を徳川幕府に主張。慶喜に公武合体論と開国論

山田方谷→陽明学→松山藩の「理財論」および「擬対策」の実践で、藩政改革

そこが現代に当てはめると
専門的に学び研究する人はいても、それを提言するという所に踏み込んでいる
学者さんや知識人との違いで、これだけ多くの学者さんがいても
影響を受ける、考え方が変わる、生き方が変わるという所のレベルで考えるとどうしても数人になってしまい。

私の頭の中では
昭和なら
・安岡正篤
・江藤淳
・白洲次郎
・吉本隆明
・小佐野賢治?
・田中清玄?

平成で
・東浩紀
・宮台真司
・浅田彰
・西部邁

自分の価値観をしっかり持って、提言しているというのが共通していると思っていて
尚且つ大いなる発見や業を成し遂げたよりも思想が基になっている人というのが
共通しているのかな?と思います。

よく仕事の中では
現場を知らないと、机上の空論と理論や書物が批判される事も多いですが
それを超えるところに思想信条があれば人を動かし心を動かす所まで行くのはすごい事だなと思います。

それを成し遂げたのが佐藤一斎であったのだろうと。
そこにはお勉強をする為に学ぶとかのレベルじゃなくて、
日本を何とかする!その為に学んで活かしてというのが江戸時代末期の学者さんの根底にあったのではないかと思いますと共に
吉田松陰の松下村塾でも、生徒が1人であったとしても楠正成の話を涙を流しながら語り、訴えかけていた様で

→結局、昔も今も動くのは公や組織であったとしても
根底に1人の思想、エネルギー、行動力が基になっているのは
今の時代でも孫さん、橋下さんを見てても感じる所です。