2017年10月14、15日 つるぎ山を訪ねる阿波女神ツアー ~内なる神を感じる旅~

阿波忌部女神ツアー

「女神性」。それは肉体上の男女の性別のことではなく、
すべての人に備わっている生命を生み出し、慈しみ、育む、愛そのもの。

私たちに流れる万物を創造し命を生かしているエネルギー。神とはそのエネルギーであり、いつも私たちの内から輝いている本質。けれども、あれこれ思考をめぐらすあわただしい日常生活の中ではそれを意識することも、実感することも忘れ、私たちは自分の本来の在りようから離れてしまいがちです。

日本神話の源流の地「阿波」。日常を離れ、大いなる母である阿波の女神のふところに包まれながら心をしずめる時、私たち一人一人にすでにある内なる神、その平安と普遍的な愛に触れることができるでしょう。

今回の旅では、阿波の豊かな自然を堪能し、阿波忌部の聖地において女神を感じつつ、内なる神を感じながら、ご縁ある方々とふれあい、ともに祈り笑い神々への感謝を深めてまいりたいと思います。

私なりの解釈では

今、現在目の前の出来事は過去の事象との関係があり、過去だけではなく将来にも相関している。
だから、現在そのもの中に、その現在も過去も、未来も織り込まれていて
過去と現在を見つめ見極めることによって、将来もまた発見しえるという事!

今どう生きるかで、過去を変えることができる。真実に生きれば、過去を正当化させ、未来も正当化出来るのでは?

ではないかと。

また、阿波忌部の徳島の中でも麻植郡に関しては母親の実家という事で、ご先祖様の生きた証を見つめて将来に活かす為にも!という事で参加させて頂いております。

阿波忌部の紹介

全国でも例がないイザナミを社名とする伊射奈美神社(いざなみじんじや)が徳島県美馬市にあることや、同じく美馬市には阿波忌部(いんべ)氏の直系である三木家が存在し、現在も天皇陛下が御即位後に初めて行う大嘗祭に「麁服(あらたえ)」を献上しており、また、神山町やつるぎ町には天岩戸伝説にまつわる神社があるなど、その由縁は数多くあります。

忌部族は天太天命(あめのふしだまのみこと)を祖とする古代士族で

天岩戸の神話古代朝廷の祭祀をはじめとして祭具作成、宮殿造営を担った。
忌部には五部神がいて
櫛明天命(出雲):玉
天日鷲命(あめのひわしのみこと)(阿波):木綿、麻
彦狭知命(紀伊):木
手置帆負命(讃岐):盾
天目一箇命(筑紫、伊勢):鍛冶、製鉄

忌部氏と農業と麻
・天日鷲命は天磐船(あめのいわふね)に乗って種穂山に降臨。
その時、天日鷲命は朝、穀(かち)、粟、五穀の種を携えていた。
全国に農業、養蚕の技術を伝え広めた。
大麻は神事に欠かす事のできない神聖な植物。(神礼、大幣、しめ縄など)

旧麻植郡、美馬市の標高約500メートルの高地は良質な大麻の栽培が可能な地域で、忌部氏によって神事などに必要とされる大麻が栽培された。

麁服(あらたえ)天皇陛下が即位される大嘗祭ではお召しになられる麻の織物は、今も忌部直系氏族の三木家のみが調整、調進することになっている。

阿波忌部族について

彼らには、自分たちがより勝っているから支配するという観念がなかったのです。阿波忌部族は、ヤマト朝廷発足当初から朝廷の祭祀を司ってきた由緒ある部族ですが、彼らは、阿波を出発して、紀伊、伊勢、遠江、伊豆、そして房総半島に辿り着き、大麻を始めとする農耕技術、織物、海洋技術を、地元民から求められるままに教え、地元民と融合しながら住みついていきました。その事は、関東平野にある多くの神社の由緒に記されてある歴史の事実です。阿波忌部族の人は圧倒的な知識と智慧と技術と種を持っていたにも関わらず、どの地域においても支配していないのです。これはまさに驚くべき真実です。つまり彼らは、高度な平和的感性を持っていたということです。
感性論哲学は、感性を基本とした人間が人間として人間らしいこれからの新しい時代を生きる人間の新しい生き方在り方示していますが、阿波忌部族は、1800年も昔にその生き方を実践していたのです。まさに感動です。

ヤマト政権成立直前には、海部とともに日本各地に進出。
ヤマト政権成立の立役者となった。
神武天皇の東征を助けた「金鵄」「珍彦(椎根津彦)」の役割も果たした。
大和国造・伊勢・伊賀・阿波国造となり、その一部が中央忌部となった。
全国開拓への出航地は鳴門市。
阿波忌部の祭祀遺跡・伝承地は麻植郡・美馬郡に多く残っている。

忌部氏は、古代から大和王権の祭祀を中臣氏と担当していた。本来、伊勢神宮をはじめとする王権祭祀を司っていたのは、忌部氏だった。特に、忌部は祭祀のための祭具を調達。

阿波勢力(阿波忌部族)は海部とともに大和王権の成立直前となる2世紀後半から4世紀頃に、日本各地へ進出。
彼らは、麻・穀を植え、農業・養蚕・織物・製紙・音楽(弦楽器)・建築・漁業・農業土木技術を伝えた祭祀族、海洋民、産業技術集団であった。
また、近畿に大和王権の象徴となる前方後円墳の諸要素と古墳築造技術を伝えた。そして、大和王権成立の立役者となった。

日本の農業のルーツは阿波忌部族がもつ古代農法にあるのではないかとの事で、衣食住全てを伝えていたのが阿波忌部族。それを現代に紐解くと「地方創生事業」の大本として展開したのが阿波忌部族であり、阿波忌部族が行っていた古代農法を知り、それが数千年もの間、伝統が絶えずに続き、継承されていた農法を知り、行う事が次の時代への新たな気づき、そして文化を継承し守り続ける大切さを知る事は阿波忌部を学ぶ事につながるであろうと。

阿波忌部の平和的感性

阿波忌部の平和的感性を知った時「日本人は感性論哲学が教える平和的人間的感性を、学ぶと同時に思い出せばいいのではないか」ということを直観したのです。阿波忌部族は各地を巡って住みついていったので、日本人のDNAの中にその気質は刻まれてきたに違いない。だとすると多くの日本人のDNAの中に、阿波忌部族の平和的感性が眠っているはず。必ず息づいているはずだから、先ず思い出すことが大事なのではないかと強く感じたのでした。

 

 

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また農業、農法についても

平成29年3月14日
農林水産省
農林水産省は、「平成28年度 第1回世界農業遺産等専門家会議」の評価結果を踏まえ、世界農業遺産への認定申請に係る承認及び日本農業遺産の認定を行う地域について決定しました。

にし阿波の傾斜地農耕システムが『日本農業遺産』に認定地域に決定

にし阿波の傾斜地農耕システム にし阿波の傾斜地農耕システム

過去、林先生の講演でも傾斜地農法のすばらしさを教えて頂きました。

阿波の山間部は、降水量と日照が多い良好な気候に恵まれ、朝の冷たい空気は谷筋に降り、暖かい空気が集落付近に上昇するため、霜が降りない無霜地帯となり、この標高差がさまざまな上質の作物を育てる要因となっていました。また冷涼な気候は寒冷期にも強い品種を生み出し、高度な水利技術・農業技術とともに、良質の種を日本各地に伝播していったのでした。

阿波忌部農法の特徴としては
「21世紀をリードする、自然循環型の、生物多用性を保障する、健康志向の農産物を栽培する最先端の伝統農業」と林先生は位置づけ

従来の
・古い、貧しい、非効率、前近代的な遅れた山間部の農業から
限界集落化を防ぎ、豊かな日本国家創生の原点となる【ソラ世界】の最興を目指したいという事で解説頂きました。

その中でも剣山系に山上集落が形成された理由として下記の特徴が挙げられます。

(1)第3世紀、4世紀頃火山岩に覆われることが少なかったので、古生層、中世層という日本最古の基盤岩が広く露出している。
(2)日本列島の中で火山活動の影響を受けていない特殊な地域で、農作物の栽培に不適な火山灰土壌(酸性土壌)が非常に少なく、農耕に適した土壌である。
(3)「結晶片岩」の特徴は、非常にミネラルを多く含むという点、玄武岩由来の結晶片岩が風化した土壌となる「赤土」もまた、鉄分やミネラルを多く含み、農作物の栽培に適した土壌である。
(4)結晶片岩が多孔質で粒が荒いため、空気をよく含み、保水力が良好で、排水性も良く、葉菜類、根菜類、果菜類、穀物類などの多用な農作物の生産が可能であった。
(5)徳島県には、中性岩の安山岩、酸性岩の花崗岩、流紋岩が少ない。主な火成岩は超塩基性岩と塩基性岩、ケイ酸を多量に含む岩意思が主流を占める。

剣山系の「世界農業遺産」に指定すべき各市町村は、いずれも1000m~1,650mの標高差を有し、それは常緑広葉樹林帯(照葉樹林帯)から冷温帯植物区(落葉広葉樹林帯)へと移行する推移帯、ひいては一部常緑針葉樹林帯へ至る極めて広範囲な垂直分布的植生分布をもつ地域に【ソラ世界】の生活、文化圏、農林産業圏が広がっている事になる。

 

※剣山系の農業を守ることは、日本屈指の植生や生態系を守ることにもなる。

次に剣山系の多種多様な傾斜地農業について解説頂きました。
標高、傾斜度、日照量、気候、地勢、地質に応じ作物を栽培し、適地適作農業を営んでいるのが剣山系における傾斜地農業の最大の特徴

3000年の歴史が続くには農業と共に信仰があったという事で

剣山系の伝統農業を支える信仰と習俗について第1段階から第8段階までの流れに沿って解説頂きました。

剣山系の3000年に亘る信仰の重層構造として
第1段階:縄文後期から原始信仰:アニミズム
影信仰(遺跡)、石窪信仰(遺跡)、石棒のマツリ、立石列石(ストーン、アライメント)

第2段階:縄文晩期~弥生:原始信仰の発展、特定の事物にカミ、精霊が宿る観念(カミ信仰)
森内部に簡素な石囲い(石殿)、立石列石、立石(メンヒル)

第3段階:弥生~古墳時代(本格的な農耕の開始):本格的なカミ信仰と斎場の形成
集会所としての斎場の形成「盤座」(巨石)信仰、「盤境」の形成、四至石などの結界的遺構、神山信仰(神奈備山)、銅鐸、銅剣のマツリ、祖霊信仰(氏神)、古墳祭祀

第4段階:古代(飛鳥、白鳳、奈良時代)
「社」(神社、ヤシロ)の成立
仏教の流入、修験道の成立

第5段階:奈良時代~平安時代:神仏習合思想の成立
山岳仏教(真言宗)、修験道の発展、仏像、御堂、芸能の成立

第6段階:鎌倉時代
鎌倉新仏教の流入、浄土宗、浄土真宗、念仏踊り

第7段階:室町時代
芸能の発達、板碑(供養碑)の流行

第8段階:近世(江戸時代以降)
御堂文化の隆盛、お大師講などの共同体を維持する講制度、庚申信仰(庚申塔)、地神さん(地神塔)、秋葉信仰(秋葉神社)、不動信仰(不動明王)、大師信仰(大師像)、地蔵信仰(地蔵さん、六地蔵)、お接待文化、遍路文化など

 

 
阿波忌部女神ツアー