2015年10月28日第60回「いい会社」大阪関西勉強会開催致しました。

結果を出す人の習慣として

原理原則にあてはめ
①結果を求める為に努力を行う

②その努力の量と努力の方向性について
そこから生じる結果について望ましい結果と望ましくない結果が生じる際に
修正を行うのが③

④が努力の方向性を修正し行動に移して結果が生じる。
そのサイクルである

結果を思い描きながら、努力の方向性を修正し続け、行動に移していく
という事を解説頂きました。

解説頂きました内容を実際の見学先の会社で行っている事例をご紹介致します。

今回のいい会社紹介でも挙げさせて頂いた 株式会社サラダコスモ 中田社長社長の紹介記事から

無添加・無漂白のもやしの成功で商売は軌道にのったものの、嬉しい悲鳴で生産が追いつかない。新しい工場があれば・・・。そんな時、名古屋でセミナーがあり、地下鉄の出口をまちがえ日本興業銀行の前に出ました。何か融資の良い話でもないかなと中田社長がウロウロしていると、守衛にあやしまれて、守衛室に連れて行かれてしまいました。
そこに営業部から若い銀行員がやって来て、いろいろ話を聞いてくれました。でかい夢の話からお金を貸してほしいことなど取り留めなく話したと言います。

若い彼が「とりあえず直近3期の決算書のコピーを郵送してください」というので、中田社長社長は大喜びで、翌日持って行きました。
当時、興銀といえばキング・オブ・バンクとも呼ばれていて、うちのような中小企業に融資するはずなどなかったのですが、1週間後には、その銀行員さんが工場を見に来て、3ヶ月後に、売上が11億円、借り入れが10億円の会社に、30億円融資してもらえることになったのです。

 

うそのようなホントの話。おかげで事業を成長過程に進めることができました。 その29歳の若い銀行員に聞きました。「なぜ融資してくれたのですか?」と。

すると彼は「中田さんは、夢が語れてソロバンが立つ。片方できる人はいるが、あなたは両方できる。だから融資しました」 翌年、彼は、シカゴに転勤し、帰国後、融資のおかげで完成した工場を見に来てくれました。すごく喜んでくれました。売上も3倍になっていたのです。

その後彼は、東京本店で為替の仕事に就きました。大変な仕事だったのでしょう。わずか半年後、35歳の若さで、急性白血病で亡くなってしまいました。

中田社長は、取るものも取りあえずご焼香に伺いました。それから半年くらいしてから彼の奥さんから手紙が来たのです。「主人は、いつも名刺入れに、あなたの名刺を入れていて、何かにつけ『俺はこの人を応援しているんだ。力になってあげるんだ』と申しておりました」そう書いてありました。

 

私の事業が成功しても、しなくても彼には関係ない。それどころか責任をとらされる。にもかかわらずこんな私のために、自分が危ない橋をわたって稟議書を書き、融資をしてくれた。この意思に報いようと中田社長は、強く思ったと言います。

 

自分の利益だけにこだわらずに、良いと思うことをやって行こう。今もその姿勢は続きます。 人との出会いが、人を変え、会社を動かす。 だから大切にしたいと思います。