2月振り返り

久々の投稿になり結構激動の2月後半で、滞っておりました。

いろいろあってドキドキしながら裁判所行ったり、病院の行き来の日々になったり(まだ詳しくは何も書けないのですが)不安と安心が毎日訪れてくる様な感じで、捨てる神あり拾う神ありを感じ、心の安定って大切だなと改めて感じます。病院でPCも携帯も使えずにずーっと稲盛本を読んで
あぁ、、、燃える闘魂とだれにも負けない努力と値決めは経営と!知識はあって本も目の前にありながら、何か流されていた自分がいて、たまに自分自身の時間を持たないと!と思ったのもまた新たな気づきでありました。

また、自分の場合は自分自身の状況がどうあれ、周り(仕事仲間やお客さん)がガンガン動いてバイタリティのある方が多いので、やる気があるとかないとか関係なくいつの間にか積極的に動く状況があるというのが有難いなといつも思います。

ちなみにいつも元気をもらってる元仕事仲間のYAKKENさん

その時のyakkenさん上司の伊藤さんの挑戦

 


3月はいろいろイベントがたくさんありまして。

普段ボーっとしてる自分に感動をいつも与えて頂いておりますヤマタケ会
(家族のような繋がりを仲間たちと国内外に広めていく活動をしております)


中今の会、第3回目の開催


 

猛獣塾クラウドファンディングスタート

塾頭先月訪問のキューバの話で盛り上がり、そろそろ行った方がいいよ!との事で年内目標に。

 

猛獣塾クラウドファンディング

釈正輪老師

武道礼法体験会 3月7日(木)
講話会 3月12日(火)

https://syaku-syorin.com/

最近、釈先生の回顧録ページも用意しました。
特に印象的だったマザーテレサとの出会いを。

マザー・テレサとの出会いと教え

師匠を失った私は彷徨(さまよ)いはじめた。
あるとき私は、衣を着て、綱代笠をかぶり、托鉢をする姿のまま、カルカッタの空港に降り立った。私には会いたい人がいた。そして、その方の居る場所を目指した。
カルカッタの郊外にその場所はあった。当時はあばら家のような粗末な場所だった。
「死を待つ人々の家」と呼ばれるその場所は、マザー・テレサが開設したホスピスだ。私は以前、マザー・テレサが来日した折に、彼女の講演を聞いていた。
「誰も孤独な人間を作らない」というマザー・テレサの言葉は私に大きな感銘をあたえていた。
実際に会えるかどうかわからないまま、私は門をたいた。最初に訪れたその日、マザー・テレサは隣町に行って留守だった。翌朝、訪れた時も会えなかった。昼に訪れた時も会えなかった。3日目も会えなかった。会うことを拒否しているのではないことは、対応してくれたシスターの言葉でわかった。いずれタイミングがあれば会えるであろうという希望を持って、翌日もその場所を訪れ、施設の近くにあった木の陰に立ちつくしたまま、ずっと待っていた。

その日、一人の杖をついた老人が「死を待つ人々の家」の前に立った。その老人はみすぼらしい身なりをし、体もやせ細っていた。曲がった腰で、両手を前に差し出すと、門の前で座り込んだ。一人のシスターが駆け寄り、コップに入れた水を差しだす。老人は手でコップを払いのけた。またシスターはコップの水を渡そうとしたが老人はコップを拒否し、両手を差し出して、そこに水を入れるように言った。シスターは老人の汚れた手を水で洗い、その手に水を注いだ。老人は両手に注がれた水をこぼしながら口に運び、一口含むと、崩れ落ちるように地面に倒れこんだ。

中からもう一人シスターが出てきて老人を助け起こすと、ふたたびコップで水を飲まそうとした。老人は頑なにコップから水を飲むことを拒んだ。それでもシスターたちは老人に水を飲まそうとした。小一時間もの間、水を飲ませようとするシスターたちと、それを拒否する老人のやり取りがあった。あきらかに老人は力尽きようとしていた。最後に、シスターはコップから水を飲ませることをあきらめ、布に水を吸わせて老人の口に運んだ。
老人は濡れた布から水を吸った。そして安堵の表情を浮かべ、涙を流し、何か言葉を口にして、事切れた。施設の中から、また何人かのシスターが出てきて、老人の遺体を部屋に運び込んだ。そのすべてを、私は少し離れたところで見ていた。

私が呆然とその場で立ちすくんでいると、施設の中から小柄なシスターが出てきて手招きした。私は周囲を見渡し、私が呼ばれていることに気がついた。そばに近づくと、手招きしたシスターはマザー・テレサ本人だった。マザーは、私がここに来たことを最初の日から聞いていたと言い、「日本のお坊さんでしょう?」と尋ねた。私は合掌してから、「はい、そうです」とうなずいた。マザーは私の手を取った。そして私の腰に手をかけ、部屋に招き入れた。
マザーが作った「死を待つ人々の家」は、路上で死にそうになっている人たちを連れてきて、最期を看取るための施設だ。ヒンドゥ教徒の国で、カトリック修道女が良く思われるはずもなく、当初は地元の強い反発があったと聞く。死にゆく人たちへの奉仕を無駄なことと考える人たちもいた。しかしマザーは、最期の一瞬でも人が大切に扱われることの必要性を説いた。

マザー・テレサは言う。
「見捨てられて死を待つだけの人々に対し、自分のことを気にかけてくれた人間もいたと実感させることこそが、愛を教えることなのです。」

私が見た先ほどの男性も自分の死期を悟り、ここへ来た。彼は異教徒からの施しをいさぎよしとせずにコップの水を拒んだが、最期にシスターらの優しさに触れ、感謝の言葉を述べた。そして来世では人のために尽くしたいと語ったという。老人と見えたが、実際は四十代だったそうだ。インドには彼のような恵まれない人々が多くいて、マザー・テレサは彼らの為に一生をささげた。
私は来訪の目的を、自分が師匠を失いどのように生きたらよいか迷っていて、ここに来ればなにかわかるのではないかと思ったと告げた。マザー・テレサの言葉はこうだった。
「あなたが日本という素晴らしい国に生まれ、男性であり、いま僧侶であるという事実は変えようのないことでしょう。ならば、その運命を受け入れ、出来ることを坦々としなさい
ミルクティーを頂きながら話した時間は二十分程度であったろう。しかしこの出会いは、私に大きな覚醒をもたらした。それ以来、私は宗派にこだわらずに自分の道を行こうと心に決めた。