釈正輪老子講和会10月17日(水)、10月24日(水)にて開催

リニューアルして第3回、4回となります釈先生の講和会10月17日(水)、10月24日(水)にて開催します。

現在運営側でいろいろ議論を重ねながら、目的や会の趣旨や活動を明確にし、積極的に発信していこうと気合いが入っている最中で、若輩者の私がメインとなって進めさせて頂く事になりました。

という事で、どこに興味を持ったか?をゴリゴリと掘り下げて見ると

一言で損得の付き合いはしない

ご縁は偶然ではなく必然と信じる

相手の目線で接する

これくらいしか無いのですが、以外と損得で付き合いはしないというのが出来る様でなかなか難しい所でもあり、仏教や思想に興味があるといえば、無いわけでも無いがすごくあるかというとそうでもなく、ただ出会いのきっかけは誰にでも広く開かれた時代ですが、継続し続ける(関係を維持する)のは努力が必要な世界だと思っていて、その努力の部分をとりあえずやり続ける!というのが必要なのかなと。

前々から言われていたのは、私自身は人前に出るのがかなり苦手な方で、プレゼンも存在感も大して無いというか全然無いのですが(笑)

出会いがその後のチャンスというか、いつの間にか運営側になっているというのは、続ける事と損得での付き合いが無い事が仕事仲間もお客さんも今の自分の環境が構築されている要因なのだと感じます。

なので、教えが素晴らしいや思想が素晴らしいと言うよりもその人に寄り添う姿勢が大切なのかなと思っていて、そういう生き方を選んでいるんだろうと。言葉では偉そうに聞こえても手弁当も多いし時間も使うし。。そこが自分との闘いなのかなと思います。


仏教の関係についてのきっかけは

個人事業主時代に出会ってHPを担当させて頂いた相模湖にある佛光寺(日蓮宗)が最初の出会いでした。

住職は大きな建設会社の社長を務めながら僧侶への修行を積み、60歳で退いてから佛光寺を建立と。

そこに行き着くまでには
人間関係に悩み、どうしようもなくなりそうな30代を過ごされた時に
誘われたお寺で修行をした事がきっかけと。
それからは社長業と修行の毎日を過ごしている中で、精神が鍛えられた。揺るぎないマインドを持つ事が出来たと。

そして
お墓にかかる費用が高額で、墓を建てられない人の為に樹木葬や経済的な理由のため遺骨を持ちながら埋葬できない人
自分と家族の墓地を確保できない人などに低価格で提供出来る様にという想いを基に活動されています。

その時にいつも聞いていたのは
日蓮の教えよりもその住職さんの当時の苦労から修行を積んで業績をアップさせる過程についてで
その人その人の歴史や生き様、そういう所に自分は興味を持っているんだなぁと。
また、そういう出会いをたくさん頂いたのは有難いなぁと。


先日の釈先生の特攻隊の話でも
過去に聞いた事のあるのは
北島さんはじめ

酒井雄哉氏

池田高校の蔦監督

と特攻隊を経験された方の話を子供の頃にお話お伺いする中で
蔦さんは 俺はアル中で日ハム1年でクビになって飛行機の数足りなくて特攻行けなくて。。

 

酒井氏は
終戦後、職を転々として職場放棄、廃業、株売買で億単位近くの負債、結婚して2週間で奥さんが自殺
という壮絶な30代を経験した後に千日回峰行を2度達成と。

共通しているのは大きな挫折を経験しそれを乗り越えてきた事で
乗り越えた後も続けられてきた事。
それがその人を創るのではないかと。

釈先生も、昔話を聞いた時には
40代の頃、知人や信者7人が相次いで自殺し、名をかたった詐欺で多くの人が被害を受け、さらに生命保険を解約した日にがんの宣告を受けるなどの不運が重なり、自ら命を絶とうとした時、首吊りから引き戻したのは、偶然帰宅した娘の声。

更に、お父さんはヤクザ、お母さんは水商売
で子供の頃は相手組織との闘い、学校でのイジメなど

以来、閉ざされた孤独な人たちへの声掛けを続けていらっしゃいます。

それを乗り越えるというのは、何があったんだろうと。
恐らくもっと壮絶な、話の出来ない様な経験をされているのだろうと。。
近い場所にいる分、もっとその人を知る事でまだまだ知らなかったその人の価値を引き出すと言うか
知らないといけないのではと思います。

自殺すると言って死んだ人は少なく、自殺者は自分の殻に閉じこもる人に多い。
自分を卑下するあまり、周りから断絶してしまう。
その表に出ないストレスが自らをリセットする自殺という行為につながっていくという事で
その背景には自分を認めてもらいたいという認証欲があり、

それをマザーテレサにお会いした時に

自分が理解されたければ相手を理解
許されたければ相手を許す

自分が自分がではなく、他が為にという所からスタートしないと、認証欲を満たされるのは難しいと。

教えて頂きました。