昇地三郎先生114歳の誕生日

毎年8月16日に1歳ずつ年齢を重ねるのですが、とりあえず書き続けて行こうと。という感じで今年で生きてたら114歳になられる昇地先生のお話を。

こちらに過去の経歴などを事細かく紹介させて頂きまして
今回それ以外のところで

9人兄弟の2番目が昇地先生で私のお爺さんが6番目
そして、1番兄の長兄
陸軍大佐で陸軍大学校教官に山本善一さんという方がいまして
(山本の苗字の方は、善が頭につく方が多く、私もそのうちの一人になり)

この善一さんが終戦時に陸軍で上の位の方にいたので
敗戦の責任を取って、1か月後に自殺。
その後の兄弟の面倒を昇地先生が見ていたらしいのですが
お兄さんと比べて、体が弱くて軍人さんになれない劣等感
そして
教員という仕事も、軍人になれないから教員しかない!という当時の価値観で教師になったという事でした。

その広島師範学校(現広島大教育学部)で感銘を受けたのが

ペスタロッチ

師範学校時代にペスタロッチの肖像画が掲げられて

「全て人のためにし、わがためにせざりき」

を毎日見ていたという事で、ここでかなり影響を受ける経験があったとのこと。 ペスタロッチの教育目的は、道徳的状態の人間こそが本来的な人間であると考え社会的状態の人間という現世の人間を、道徳的状態の人間にするのが教育であって、つまりその教育が「人間教育」

このペスタロッチのシュタンツだより

これがえらく心に響く内容で

ペスタロッチが孤児院の運営をしながら、教師をされていた頃の話なのですが
孤児院に来る子供さんが泥棒したり、いろいろ悪さをしてる中で
優しく接し続けているうちに徐々に心が通い合うという内容なのですが
その孤児院もフランス軍隊の病院にされ、ストレスで吐血したペスタロッチは保養地に行き、そこで書いたのが
「シュタンツだより」

そんな背景を見ていると、理想を求める、しあわせになりたい!そういうのは

反対側で世の中の不条理、困難、苦しさを体験したからこそ求めるものなのかな?と思うところがあり

「神に愛された者には試練が訪れる」

昇地先生の場合も子供さんお二人を脳性小児麻痺になってしまった時、その当時どんなにペスタロッチを学んでいても心の助けにはならず、自分なりの方法を探って乗り越えた訳ですが

その根底の部分に師範学校時代にペスタロッチに触れた事が基になっているんだろうと。と考えると原体験や幼少期に触れる人とか教えって、いつまでも残っているんだろうと思います。だから3歳までが大切だ!と言っていたのかも。

また、本人はあまり〇〇論とか〇〇教育とかにこだわっていた訳ではなく
カテゴリ分けにされて、障害児教育 と位置付けられるのはあまり好んでいなかった気がします。
(なので、肩書きも、中村学園で教えてたこととか福岡大学とかは使わなかったんだと思います)
個々は最近自分でも感じるのですが、胎内記憶やTRT心理学などの様に、言葉が先走って、内容見るよりも言葉でのイメージになってしまうのと、その〇〇学ブームが無くなったり、人気なくなったりすると、本質が見えない状態のままになるから、認定講師って名前が付くのは、どうなのかな~と思う時もあり。逆に受講して得られる〇〇資格とか〇〇講師より、学んだ方のうち推薦いただいたのが〇〇人とか、後の視点に着目した方がいいのかなと最近思うところで

昇地先生を見ていて感じたのは、教育者でも長生きおじいさんでも肩書は何でもよくて、そういうのを全て取り払って1個人として魅力を感じる人だったと思っています。どうしても着飾ろうとして〇〇学とかになると思うのですが、それは入り口の1つで、それを超えて1個人として肩書きが無くても魅力を感じれるところを目指したいなと。

 

他に書籍で面白いリーンハルトとゲルトルート

家庭を顧みない夫リーンハルトの賢い妻ゲルトルートが、わが子や農村の子どもたちに農業や国語、算数などを教えることで彼らが成長し、農村に革命が起きる物語

民衆の抱えている最大の問題の根源は貧困にあり、民衆の経済的自立の必要性を主張し、そのためには民衆教育が不可欠

ゲルトルート児童教育法

教育の目的を、子どもが精神的(頭)、道徳的(胸)、身体的(手)に調和のとれた発達をするように援助する

人間の認識の唯一の基礎を「直観」であるとし、直観できる認識の基礎は、数・形・言語の3つであるとしました。事物を認識する条件として、「いくつあるか」「どんな形をしているか」「何と呼ばれているか」で、すべての物を区別できるものであるとされていることから、これらは「直観のABC」と呼ばれています。