奥村綱雄(野村證券 元社長・元会長)

明治36年(1903年)、滋賀県信楽菜町に生まれ、京都帝国大学経済学部卒業後、野村證券へ入社、昭和23年、45歳の若さで野村證券の社長、昭和34年に会長になり、昭和30年代の財界では「飛ぶ鳥を落とす勢い」とまで言われた人物である。 その後、昭和43年に相談役に退き、昭和47年、69歳で死去

中興の祖とまで呼ばれる所以は、社長就任後の昭和26年、連合軍との交渉の末、証券投資信託法を実現させ、財閥指定を受けていた「野村」の社名を守り通すことに成功したことにある。

戦後は経営陣の多くがGHQによる公職追放措置で退陣するなか、奥村氏は1947年に専務に、1948年には45歳の若さで社長に昇格。財閥指定を受けて消滅寸前だった「野村」の社名を、連合国との粘り強い交渉の末、証券投資信託法を実現させ、委託会社の免許を受けることで守った。

「一人の独裁でもいけないし、多数の悪平等でもいけない。個が集まって全を形成するが、個は全あっての個であり、個あっての全ではない」