ハイデガーに学ぶ

ハイデガーの『存在と時間』は、ハンナ・アーレントら哲学者はじめ、フランスではサルトル、フーコー、ドゥルーズなど「ポストモダン主義」の思想家たちに多大な影響を与えた。


『存在と時間』

ハイテガーが著書の中で問題の中心としたのは

  • 存在とは何か

従来の哲学→存在しているもの
ハイデガー→存在そのもの

ハイテガーは存在そのものを現象学的に分析する必要があると考えました。

現在に存在する人間を「現存在」として規定し、

「現存在」が「世界の内に存在する」というあり方を「世界内存在」と言い換えました。

3つの「世界内存在」

「存在と時間」の前半部分は「世界内存在」を次の3つに分けて分析することで存在の本質を考察します。

  • 世界の世界性
  • 共存在
  • 内存在

簡単に要約すると

  • 世界の世界性=現存在に存在の可能性を与える性質
  • 共存在=他者と共にある社会的存在
  • 内存在=現存在が世界の内を生きる存在仕方の本質

と表せます。

・存在の意味→人間の存在の本質はおのれ自身の自己了解のあり方によって規定される

人間存在は時間の流れの中にあり、過去に世界とどうかかわったかによって現在があり、現在どのように世界にかかわるかで未来のあり方が決まる。このように時間を抱え込んで存在している中で、未来の可能性に自らを駆り立てて生きる生き方を実存的生き方と論じました。

ハイデガーは「死とは何か」を問うことで実存の本質を探り、現存在(人間のこと)は、死に至ってはじめて死と関わりを持つのではなく、生きているということ自体が、すでに死との関わりそのものであると論じました。人間は「死へと関わる存在」であり、その死という可能性との関わり方が現在の自分のあり方を規定しているといいます。

「死」を「他ならぬ自分だけの、他から隔絶された、追い越しえない可能性」と規定

現存在は死へと関わる存在から逃避しようとしており、実存の真理を覆い隠しているといい、さらに、死を「最極限の未了」と表現

死から自由になるために、自分の死を理解することを、死に先駆ける「先駆的了解(せんくてきりょうかい)」と表現し、そこに至ることで、死から逃亡せずに自分に今何ができるかに向かうことができるとしました。

「死」を自覚した時に自分の将来全体を見定めやすくなり、可能性を求める本来のあり方に戻ることができるというのがハイテガーの考え