2月1日、佐藤初女先生命日

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今年で亡くなられてから5年になります初女先生命日
私事で恐縮ですが
当時、何の興味を持っていなかった自分自身が
住む場所が近く
弘前イスキア時代の初女先生の頃と母親との出会いから
姉の出身の高校が一緒で

お名前だけ存じ上げてたところから
やっと先生の価値を分かり始めたのが30代半ばからでした。

こちらはいつも目に付くところに

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なかなか男性の場合だと、何かを成し遂げた!とか世に名を残した方!が惹きつけられ興味を持つんだと思いますが、むしろ男性こそ初女先生の素晴らしさを知って感じる事が出来れば、男に優しさ、いとおしさが身につくのかな??と最近思う所です。

 

 

ガ、なかなか地元近くの人は。。。。。。

という感じで、近すぎる場所や存在だと当たり前になってしまって価値の素晴らしさを感じるのが難しいところなのかなと感じるとこですが、でもちょっとした出会いがあったりすると、興味を持つきっかけも出来たりで

年齢が変わったり、状況変わったりすると興味の対象も変化したり

 

また、それ以上に立ち振る舞いというか

実際にお会いして、お礼して立ち去ろうとすると

手を握り締めて、

それが30秒位続いて

ご丁寧に頭を下げて頂いて

 

そんな姿を目の前で見せられると、言葉にし難い心に来るものを感じるのであります。

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せっかくのご縁を頂いたからには、多少語れる人間になろうと思うのですが、その語るの部分においても本と映画で表になっているところ以上の実体験や深いところで出来ればいいなと思っていて

 

そんな視点で見ていると、初女先生の幼少期の頃からのストーリーがあったから、イスキアをずっと続けてこられたのだろうと思うところがあり、幼少期に思い病気を患って、這いつくばりながら学校に通っていた時の話

その頃に見た本?だったか信仰していたのが

聖テレジア(小さき花のテレジア)

 

病気で早くに亡くなられた修道女のテレジア

をご自身も同じ様に意識して神に仕える、利他の心が培われたのがこの幼少期の頃の病気がきっかけだったのだろうと、直接聞くのが恐れ多かったのですが、そうじゃないかなと思っています。

※テレジアは自分の天職を「愛」であると語っており、修道生活においても、人の欠点をゆるすこと、他人に惜しみ無く愛を与えること、人に譲ること、誤解されても相手を責めないこと、批判されても甘んじて受けること、苦手な相手のためにも愛をもって祈り善行をなすこと。

 

 

初女先生は「言葉を超えた行動が魂に響く」をモットーにされていて

そして「おいしいものを楽しく食べると生きる意欲がわく」「おいしいと感じた時に心の扉を開いてくれる」

それは、白装束?黒装束?で訪れた方の話が印象的で、自殺をすると決めて、最後の最後に親に諭されてイスキアにこられた方の話、心を開かなくても一緒に食事の時間、話を聞く時間を共に過ごしている中で心を開いてくれた方がいた事。

言葉を超えた行動

今を生きるで生きていて、そこで何があってもまた切り替えていくから、後悔はない

との事で、まずは目の前のことを精一杯やって生きていきましょう。希望や夢などいいことを考えてまっぐに進まないよりも、もっと心を向けて生きたい。今、このときを感謝しながら真実に生きていると、必ず目的に通じます。

 

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森のイスキア

イスキアとは、イタリアの南西にある火山島の名前

 

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ナポリの大富豪の子息で、教養もあり美しいナポリの大富豪の息子が、愛する女性とボートを漕ぎながら愛を打ち明けた。彼女がそれを受け入れた時、しかし、彼はなぜか虚脱感に襲われた。何かが足りない、虚しいと感じた彼は、少年時代に訪れたイスキアを思い出し、それ以後、何もかもが退屈で、何をする気にもなれなくなってしまった彼がふと思い出したのは、少年時代に父親に連れられて訪ねたイスキア島のことだった。

 

彼は「みずみずしい感性で、すべてのものに好奇心を持ち、生き生きとしていた自分をもう一度取り戻したい」と願い、一人イスキア島に出かけた。

地中海に浮かぶイスキア島から眺める風景は静寂に包まれ、青年は自分自身を見つめ、新たな力を得て現実の生活に立ち戻ることができるようになった。

どうにもならない心の重荷を感じた時、そこへ行けば癒され、自分を見つめ直し、 新たなエネルギーを得ることができる・・・。そんな場になって欲しいという願いを込め、 このエピソードから「イスキア」という名が付けられた。

心に重荷を抱え、虚ろさに苦しむ人々の「駆け込み寺」として、イスキアは運営された。訪れる人が増え、1992年には、彼女によって助けられた人々の協力のもとに、岩木山の麓に「森のイスキア」が開設された。

龍村仁監督が制作した映画『地球交響曲 ガイアシンフォニー』は、人物に関する取材や対談などから成り、初めは配給会社が見向きもせず、やがて監督自身がチケットを引き受けることを条件に、短期間の上映が行われた。これを見て感動した人々が、自主上映会などを催すようになり、ファンが増えた。かつては各地で開かれる上演会を探さなければならなかったが、今では有限会社龍村仁事務所から、DVD も発売されている。その「第二番」に初女先生が登場する。その取材時の思い出を、龍村は次のように記す。

 

映画のファーストシーンで、先生がイスキアの裏の雪の中からふきのとうを掘り出されるシーンがあります。その日の夜の私達の食事に、ふきのとうの味噌和えをつくって下さるために始まったシーンでした。初女先生のふきのとうの採り方を見ていて、私は胸が熱くなるほどの感激を覚えました。スコップか何かを使ってサッと採られるのだろうと思って見ている
と、なんと先生は、小さな枯れ枝を使って、シャカシャカとさわやかな音を響かせながら、まだ雪の下にあるふきのとうの周りの雪をやさしく取り除き始めたのです。「なんと“めんどくさい”採り方をされるのだろうか」、そう思った私は、先生が作られた梅干し入りのおむすび一個が、なぜ自殺まで決意している人の心を癒し、生き続ける希望を与えるのか、の理由がわかったような気がしたのです。

大切なのは効率などではない。来訪者に向ける思いは、言葉を交わさないふきのとうにも向けられる。その下には地下茎があるのだから。そしてまた、そのひたすらな思いを来訪者に向ける。来訪者は、最後の支えを求めてすがる思いで訪れる。そして、ひたすらな思いで迎えられる。その「訪ね/迎えられる」ということが大切である。

※ガイアシンフォニーで心に来るのが、初女先生の後に登場のジャックマイヨール。この方こそ昔から知ってて、ダイバーさんの間では結構伝説の方でした。

イルカと会話が出来る人、親日な人で禅もやる人。

そんな方が何で首吊り自殺したのか。。地位もお金も周囲の環境も多分何一つ問題ないであろうと思われてたのに、何故???ばかりで。ジャックマイヨールが初女先生と出会っていれば。。

 

なので、ジャックマイヨールも

なかなか表に見えるところはいいところ、輝いてるところばかりしか見えないのですが

裏側での生々しいところや暗い闇の部分も抱えながらだったと思うと、本でも動画でも闇の部分は1ミリも見当たらないけど、本人は自殺するほど悩みを抱えていたんだと。もしかしたら闇の部分があるからこそ頑張れたのかもしれない、とか。

いい面だけではないその人の心の部分まで見ようとする姿勢が大切じゃないかと思うのであり、深くその人を知る事で語り継ぐ話の内容に価値が出るんじゃないかなと思います。

 

 

 

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