本日8月9日、釈正輪先生の講和会

武士道経営塾でご縁をいただいてから5年程、定期講和会に参加させて頂いている釈先生の講和会、今回から少々変わり新たなテーマをどんどん取り入れていく形で展開致します。と共に運営側として参加させて頂く運びになりまして、どんどん動画などなども取り入れながら良さ!を魅力を感じてもらう様に展開して参ります。

講和会では歴史、仏教、宗教、その他もろもろと様々な分野について先生の話を聞きながら、自分自身にどう応用していくか?の視点で常に学ばせて頂いております。
出会う機会はたくさんあれども、それを繋ぎ続けていく事に価値があり
学び続ける、広めていく、とりあえずやる!
という視点で段々と関係が深く強くなっていくのを感じながら
まずは好きにならないといけないなと。

当時は感覚的なものだったのですが、興味を惹かれて弊社のスタッフさんも一緒に参加した際にすごく興味を持ってくれて、それ以来直接的に仕事に結びつくという事はないものの、一個人として興味があり、周りの方も興味持ってくれるという所は以外と仕事に結びつかない所がスタートでも、そこから共通のテーマが生まれたり、人間関係の構築に役立ったり、周りまわって仕事に結びついたりなどなど。

結果的に恩恵受けているな!と。

また、釈先生のお話の中では死についてを深く考えさせられる話が多く、そして壮絶すぎる先生の体験談を基に話をしてくれるのでその話だけでも興味深く聞けるかもしれません。

お父さんが極道の世界にいてお母さんは水商売。
当時人が殺される瞬間を目の前で見た少年時代。刑事とやくざが学校にまで来て同級生からも先生からも無視され続け遂にお父さんは刑務所に。そしてお父さんの敵方ヤクザに狙われます。
自衛のためにやくざ相手に喧嘩の毎日。

このような日々から救い出してくれたのが臨済宗の名僧でした。
初めて自分を認めてくれる友人達との出会い。そして教師の道に進みますが、今度はお父さんの残した膨大な借金のため商売の道に転進。
再び仏教の道に戻り、千日回峰行を成就。
千日回峰行を達成した人は大阿闍梨の称号を得ますが、宗門へのこだわりのため称号は得られず。
千日回峰行にしても、負のエネルギーで出発した、と語られています。自分を罰したかった、といった強い思いが根底にあった、と。

その後もご自身の体験談を通じて

40歳の時、自殺寸前までいった自身の体験から知人や信者7人が相次いで自殺し、名をかたった詐欺で多くの人が被害を受け、さらに生命保険を解約した日にがんの宣告を受けるなどの不運が重なり、自ら命を絶とうとした時、首吊りから引き戻したのは、偶然帰宅した娘の声。

以来、閉ざされた孤独な人たちへの声掛けを続けていらっしゃいます。自殺すると言って死んだ人は少なく、自殺者は自分の殻に閉じこもる人に多い。自分を卑下するあまり、周りから断絶してしまう。

釈迦の悟りの境地は「今を生きる」。世は無常なのだから、取り返せない過去にも、分からない未来にも縛られず、今を誠実に生きる。今に集中していれば、魔が差すことはない。

あまりに壮絶すぎて、、自分の頭の中で想像する以上の出来事を通じて今に至る訳ですが、そういうエピソードを語る講義ではなく、1人1人の生活や少しでも社会を良くして行きたいという想いを基に歴史、宗教、社会問題などから自分に落とし込んで考えて見るという内容になるので、年齢や職業などに関係なくいろんな方が参加し続けているのだと思います。

同じく
大阿闍梨さんの酒井雄哉氏を見てても
特攻隊→事業を展開し失敗→結婚してすぐに奥様が自殺→廃人の様な生活から千日回峰行に突入する
というこちらも壮絶すぎる経験をされているのですが

こういう事なのかなと個人的に思います。

身近な人の死を経験する事、乗り越えれない様な深い悩み、なかなか他人と共有する事も出来ず
解決策がある訳ではない経験をする事によって、果たして今後残された自分の人生をどうすべきか?逝かれてしまった方に対しての供養などを
考えて決める事が死生観を持つきっかけとなり、今を生きる事にものすごく集中して普通では考えられない様な偉業を達成されたのではないかと。

死を深く考えるという事では、大学時のゼミでも思想史を専攻していた事が良かったなと今になって思う所もあり、何故か実存系が好きな人達がいて、話をしていると大抵はいじめられた経験があったり、親といつも反発していたり、周りから理解されなかったり、、死を考えた事があるか社会を見下す、絶望している感覚を持つ方が多かったなと。安部公房とかドストエフスキーを語り合う、多分唯一大学の授業で興味持った所でもありました(笑)

 

先生の話の中で興味深いテーマが

「仏教は宗教ではない」

仏教は仏道であり、宗教ではない。言い換えると仏教は思想である。本当の仏教と言うのは、超ニヒリズムで、現実的お釈迦様(ガウタマ・シッダールタが本名)の誕生から亡くなるまでの内容を事細かく教えて頂き神様、仏様と手を合わせて拝むのを望んでいたのではなく、自分自身の心に向き合う事を説いていたという事で

「人間の心の中から全て苦しみが生まれる」

心の境地を仏道と捉え四諦という言葉で
苦諦:苦という真理(このなかに生きる悩み、老いる悩み、病気の悩み、死ぬ悩み)
集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理
という事で4つの苦しみがさらに細分化して四苦八苦という言葉が生まれた。

お釈迦様は上記の様な悩み、苦しみを心を正して不安を少しでも和らげていく為に正しい言葉、姿勢、反省をする事が大切
そして

「使命があって意味があって生まれてきている」

幸せになる為に私のことを認めてくれる人がいて、私の周りにいる事が大切とお釈迦様が説いている。

私と相手同じ目線で見てくれる、認めてくれる人がいる時にカルマというのが浄化され
ブッダになっていく(なお、ブッダは誰という事ではなく誰でもなれるとの事で悟りし者の名前)
その為にも対話説法を重視して行っていたとの事です。つまり、絶対的な権威があって、これでなければいけない!という事ではなく、その人その人に合わせて同じ目線で見ていたという事かなと思います。
お釈迦様は現在のインド(当時北インド、現ネパール)でシャカ族(シャーキャー族)の王様として29歳までは過保護に豪遊生活をしていたが、外の世界を見た時にこれではいけないという事で6年間修行に出て何故生まれ、老い、死ぬのかを問い続け、その後80歳の2月15日に亡くなるまで対話説法を続けていたと。