禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会

禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会

禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会開催しました。

今回は、無着禅師

中国の唐時代後半に活躍された無着(むちゃく)禅師という方がおられました。この方は、仰山(ぎょうざん)禅師という大禅匠の法を嗣(つ)いだ方ですが、若い頃に五代山に行脚(あんぎゃ)したことがありました。五台山は、文殊菩薩を祀る霊場として古来有名な所です。求道心に燃えていた無着青年は、五台山のお寺に宿泊した際に、夢の中で文殊菩薩と出会い、教えを受けることができました。

(無着は、老師となって後進を指導するようになってから、その時の経験を材料に話を整えて、文殊菩薩と自分との禅問答として弟子に示し、指導の材料とされたようです。のちに、その話が有名になって、「碧巌録(へきがんろく)」という禅門第一の古典に採用されました。)

碧巌録については過去開催の内容から

「生きると死ぬという対立的な考えがすでに間違いだ。死んでしまったら死はない。死ぬということを考えるから生きるということがある。生きるということを考えるから死という問題が出てくる。」(山田無文著「碧巌録全提唱第6巻」p.190)

禅の修行においては、「大疑団(だいぎだん)」・「大信根(だいしんこん)」・「大憤志(だいふんし)」あるいは「大勇猛心(だいゆうもうしん)」が必要であるとされます。

禅の道を進む者にとっては、「大疑団」・「大信根」・「大憤志」を欠いてはならないといわれている。「大疑団」とは、自己存在を脚下(きゃっか:あしもと)から揺すぶるような疑問に撞着(どうちゃく)すること。「大信根」とは、この疑問に対する答えは、必ず自分のうちから湧き出てくるという絶対的確信。そして「大憤志」(大勇猛心)とは、この疑問の解決には、命も惜しまないという強い意欲である。

自分はこれでよいと思っているうちは、コップに水がいっぱいに入っているようなもので、老師の教えが心に入って行きません。まず、修行者の心のコップを空にさせるために、老師は参禅に来るものを何度も否定して、コップの水を吐き出させます。
コップが空に近づくと、ようやく「今のままの自分では、根本的にダメだ」という大疑団が起こってきます。その上で、「修行により必ず成長できる(悟れる)に違いない」という大信根(未来に対する期待もしくは確信)と、「苦しくても頑張りぬくぞ」という大憤志・大勇猛心があると、禅の修行が進んでいくとされます。この三つの段階のうち、「大疑団」が一番大事でしょう。お釈迦さまは、28歳で王子の地位を捨てて出家されたときに、すでに人生に対する高いレベルのとても大きな「大疑団」をお持ちでした。だからこそ、数年間の修行により、「ブッダ(最高の悟りを開いた人)」になられました。

 

無着が青年時代のこと、師である實中(かんちゅう)禅師から、「禅の修行で大切ななのは、名山霊域を遍歴して俗塵(ぞくじん)【チリのような俗世間のわずらわしい事柄】を洗い落とし、優れた師を尋ねて禅道を問うことにある」と指導されました。

それを受けて、無着は修行の旅に出て、文殊の霊場として有名な五台山に上りました。「五台山において、ぜひ、文殊菩薩様ご自身から指導を受けたいものだ」と念願してのことです。

仏教では、歴史を三段階に区切る考え方があります。お釈迦様がお亡くなりになられてから、最初の500年間を「正法(しょうぼう)」と言って、お釈迦様の教えが生き生きと伝えられて、その教えのごとく修行して、大きな悟りを開くものが出てくるとされます。

次の1千年間になると、次第に仏法が衰えてきて、教えと修行はあるが、お釈迦様のレベルの悟りを開く者はいなくなります。この時代を「正法」の世を象(かたど)っているという意味で、「像法(ぞうぼう)」の世と言います。見た目は似ているが、本物ではないという意味です。

その後の時代(お釈迦様から1500年以上経過した後)を「末法(まっぽう)」といい、教えは伝わっているものの、本格的な修行がなされなくなり、悟りを開く人もいなくなるという時代です。この末法の世が1万年続くとされます(1万年ということは、人間的な尺度言えば、永遠ということです)。

 

中国でも、日本でも、仏教が盛んになるにつれて、「末法思想」という「現在は、末法の世の中で、自力の修行では救われない」という考えが広まりました。兜率天(とそつてん)という天上世界で修行している弥勒菩薩(みろくぼさつ)が、56億7千年後というはるかな未来に、新たなブッダとなってこの世に出現し、釈尊に代わって人々を救うとされていますが、それまでは希望が持てないことになります。

そのような希望の持てない時代に対する救いとして、「阿弥陀如来(あみだにょらい)」を信仰して、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えれば、阿弥陀如来が、悩める人を西方浄土に救い取ってくださるという「浄土教」の信仰が広まりました。日本で浄土教を広めたのが、浄土宗の開祖である法然(ほうねん)と、その弟子で浄土真宗の開祖となった親鸞(しんらん)です。

 

禅宗は、あくまでも人間の可能性を信じて、自力の修行で成仏できる(ブッダと同じ悟りに到達できる)という教えですから、あまり「末法」ということを言わないのですが、このときの無着は、謙遜の意味で、「大した修行もできず、悟りも開けていない未熟な修行僧ばかりですが、戒律だけは守って努力しております」と答えたのでした。これもまた謙虚な答えですが、どうもまだ、他人事になっています。

 

文殊菩薩は、無着の眼を開かせようと、さらに「どのくらい修行僧がおられますかな?」と第三の問いを投げかけました。すると、無着は、「あちらの禅道場に3百人、こちらの禅道場には5百人と、そこそこ人数は集まっております」と答えました。修行僧が数百人も集まるとは、禅が中国揚子江流域で盛んな様子がよく分かります。

禅仏教では、「衆生本来仏なり」(私たちは、誰もがみな、本来仏なのである)ということが大前提となっています。しかし、私達は、自分が持っている仏心を忘れて、煩悩という間違った欲望に振り回されるために、仏様とはかけ離れた凡夫として、悩み苦しむことになります。

「坐禅によって煩悩をコントロールできるようになれば、誰もがお釈迦様と同じくブッダの境地に至れる」という徹底的な性善説が、禅の教えであり、人間の可能性を高く評価する考え方です。

文殊菩薩は、仏教の智慧の象徴ですから、誰を見ても、その人が心に秘めた仏心をありありと見ることができます。そのような文殊菩薩からみれば、「修行者は何人いるのか?」という質問には、あまり意味はなく、現在、仏教にご縁のない人でも、いったんご縁があれば「仏の智慧に眼が開かれ得る」存在なので、可能性からいえば、「あらゆる人が仏子(ぶっし)である」ということになます。

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