禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会開催

20190129195740 - 禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会開催

今回は衆知の記事から

中国唐時代の龐居士(ほうこじ)について

禅を寺でなく日常で経験していたという、維摩居士(ゆいまこじ)の生まれ変わりとされる、維摩居士は古代インドの商人で、釈迦の在家の弟子(居士とは在家の弟子のこと)
別名:ビマラキールティ(byサンスクリット語)

非常に裕福な家庭に生まれながら、その財産をを大きな河の中に沈めてから在家のまま仏門に入られました。
石頭和尚や馬祖について僧にはならず出家はせずに居士として修行なさり、それぞれの祖師方に劣らぬ悟りを得られたようです。その娘の霊照も仏道を究めていたらしく、よく父を助け、籠を作り売って生活をしていたようです。

というお金に執着しない方の様で

釈尊も30歳で王子の地位を捨てて歩いて歩いて、現世で悩んでいる人との対話を重ねた(ジプシーの様な生活)

貧しい、苦しみに自分の身を置く事によって苦しみの四苦八苦の中からでも喜びを見いだせるという考えなのかなと思います。

龐居士については大乗仏教を知るのがいいのですが、図に示すとこんな感じです

大乗仏教

仏教においては
上座部仏教

大乗仏教

密教

という流れにおいて、上座部仏教と大乗仏教は顕教と言われています。

密教について
伝わり方は2つ
1、日本に伝わった真言宗
2、北を通っていく時輪密教

平安時代に
天台宗:最澄と真言宗:空海が出てきた。
天台宗は
円(法華)、密、禅、戒、浄土、修験、古神道の各々の教えがあったが、真言宗は1つの教えのみであった。
その為に天台宗は様々な教えがあったからその後分かれていったという流れがあり

法華からは日蓮、禅は道元、浄土からは法然、そして親鸞という形で。
真言宗には即身成仏という教えがあり私は既に仏である(生まれながらにして仏)という教えがあり
仏であれば虐待したり、虐めたり、悪い事は出来ない【これが奥義】という事で
三密(身、口、意)を高めていくという事です。

それに対して顕教は
仏になる為に修行する(だから厳しい修行がある)

顕教も密教も魂がある(慈悲)

 

大乗仏教の理想の人間像を「菩薩」といい
「文殊菩薩」「観音菩薩」「地蔵菩薩」などたくさんの菩薩がありますが、これらは大乗仏教の智慧、慈悲を象徴する存在。

それに対して本来の菩薩は、仏陀の悟りを目指して修行する人を指します。
菩薩の修行は
「自利」自己向上の為の修行
「利他」他者への慈悲の行いが大事

自利と利他を修行の両輪として努力する人が大乗の菩薩であり、出家している在家であるは本質的な問題ではない。

インドで作られた大乗仏教の中には「維摩経」のように繊摩居士という大悟徹底した在家信者の方が釈尊の直弟子という事で問答し弟子を指導する立場にもなられた。

そして、今回は

陰徳を積む

影でこっそりといいことをして、他人には自慢しない。

人知れず善行を積む!

現代ではお金の大切さはどうしても避けられない所ですが、最近仕事仲間の方との話の中でこんな事がありました。「本物を扱いたい」「本当に価値のあるものを提供したい」残りの人生の中で。

という話の中で、ある程度年齢が行くと、若い頃は将来こうなりたい!5年後10年後に描く夢は~~。という考えが多いと思いますが、引退の年齢を考える頃になると「残り○年」「タイムリミットまであと○年」という感じで、残された時間で何を行うかの方が本気度が高くなるなと感じ、もう価値を与えないものはやりたくない!と。非常に考えさせられる言葉でした。

世にそこまで名前が知られていなくても素晴らしいなと思う方のお一人に坂村真民先生
名前のある方で高い地位にいる方を相手にしていたのは

安岡正篤先生

中村天風先生
(未だに自分はヨガの先生のイメージが強いのですが)

いろんな立場あり教えあり
でも本来の釈尊がやっていた事の本質を受け継いで活動していくのは
誰かに賞賛されるからやる訳ではなく、
自分の尺度(満足度)でもなく

今、目の前の困っている人に対して!という視点なのかな?と思います。

五木寛之も西田幾多郎も同じ事言ってた様な。。

むしろ、どう伝えるか伝わるか、心に響くか?その視点から見るのも面白いかなと。今東光のような人も魅力的だし言葉や書物を残さなくても行動で示し心に響く活動をされた方(工藤艦長や杉原千畝や八田與一)も魅力的。素晴らしい隠徳を外国人の方に影響を与えた人もいると。

工藤艦長

杉原千畝

八田與一

ちなみに大谷翔平君の愛読書の1つに中村天風先生

 

 

衆知2019.1-2_好雪片々_A4
20190129195740 486x290 - 禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会開催