知覧特攻隊のお話

11 - 知覧特攻隊のお話

北島さんと再会!

こちらで取り上げさせて頂いた知覧特攻隊の護衛をされていた北島さんと飲み会。

知覧特攻隊

知覧特攻隊

1945年1月、旧陸軍特攻隊の出撃基地となった鹿児島県・知覧に配属され、敵艦を目指して飛行する特攻機の護衛任務に。終戦後は特攻で散った仲間の遺品集めに奔走し、知覧特攻平和会館の設立にも尽力。だが訪ね歩いた遺族から「息子は死んだのになぜあなたは生きて帰ってきたんだ」と責められたこともあった。自責の念から、会社を定年するまで体験は誰にも語ってこなかったという事ですが、現在は後世に対し、若い世代の方に経験談を伝えていく事をされています。

武士道に反する事は出来ない。

当時、飛行機が墜落する際は落下傘で降りる米兵が多かった。
それを機関銃で撃とうと思えばすぐに撃つことも出来たが、
それは違う。当時の上官に「もし、戻ってまた戦闘機に乗って俺たちを狙ってくるんだぞ」という言葉に対しても
それは違うと。もしそれで命が狙われたとしても北島さん曰く「それでもいい」

そんな非人道的な事は出来ない。それで上官と口論になっても、それでも少ししたら酒を飲み明かしていつもの雰囲気に戻れる。そんな人間関係があったとの事。

「彼らが生きていれば、今の日本はもっと良くなっていた。心底そう思っている」。

世の人々のため、生き残った自分ができることとして選んだのが、福祉の仕事だった。

 

鳥濱トメさんとの思い出についても語って頂きました。

北島さんが戦闘機の整備をしていた頃、ある方が特攻に行く時に沖縄の手前でエンジン不調で帰る事になった。
飛び立つ時、大日本国防婦人会の方々が旗を振ってくれるが、飛び立つ際に名前を呼びながら、実は旦那さんが飛び立つという事で特攻で飛び立つのを見送った奥様がいました。残念ながら特攻で亡くなってしまったが、鳥濱トメさんの食堂に奥様が勤めたとの事

何で務めたのか
それは
「必ず主人が戻ってくる事を信じている」と。

それまでトメさんのところで仕事をして待ち続けていると。

※女の人は強いという事も教えて頂きました。

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