次回東京思風塾は
6月全国大会開催により、いつもと変更して芳村思風先生の77才の喜寿のお祝い例会
例会テーマ
「思風先生は語る〜令和を生きる私の決断〜」
先日の全国大会にて



今年開催の東京思風塾から
「新しい御代をいかに生きるか」
形式を変え、より思風先生を身近に感じながら話しやすい雰囲気の開催で座談会形式で行いました。
- 思風先生からは元号発表に伴い、新元号「令和」が持つ意味と価値について
- 新しい時代を迎える今、日本がなすべき志命、役割について
- 質疑応答から
新元号「令和」が持つ意味と価値について
これから毎日元号を使う日が来る。言葉には言霊が宿り素晴らしいものであっても意味と価値を感じて使う言葉と、何も感じないで使う言葉は全然違ってくる。
思風先生のおっしゃる長所半分、短所半分は令和の言葉にも込められていて、和に重点を置くならば これから世界が平和に向かう意識の変化に向けての力があり 和を実現する為に、令が手段としてどう使うか 令という言葉が持っている意味を支配的な意味合いをやわらげ、長所の視点から 下に来るものを褒め称える (ご令嬢、ご令息など、上の立場で用いる言葉の意味を変えてみる)
平成から令和に変わる今、日本がなすべき役割、志命
平和に生きるには、我々が成し遂げるべき課題として4つ存在する
1、新しい時代を動かすには、その政治の中心を変化させなければいけない
歴史的な教訓からも、新しくなる前提として国の中心が移動する「遷都」
世界史で見ても風土が変化し続けてきている。
理屈を超え、歴史の教訓からも新しい時代の息吹がある今、東京から広島への遷都が第1に挙げられる。
そして東京は近代日本の都市として武士を感じる都市に。
江戸城の再建、東京に来れば武士道を感じれる。そういう都市に生まれ変わる事で新しい東京の意味と価値を世界に示していく事が求められ
広島はこれから世界をリードしていく日本の役割として平和を世界に示していく為に広島への遷都が求められる。中国地方5県を大首都圏として、日本海文明を切り拓いてアジアの時代にアジアの中心となりえる役割の前提条件が5県を中心として築く日本海文明。
2、3、4は政治、経済、社会
政治:政党のない政治
経済:資本主義経済から人間の為の人格主義経済へ
社会:民主主義社会からお互いを尊重する社会
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これらを世界に示せるのは日本。
和の精神が絶える事無く受け継がれ
柔軟に対応出来る日本人だからこそ出来る新しい時代に向けての変化の意識を
日本人自身がまず持つ事が求められる。
質疑応答から:まじめで一生懸命、完璧主義の方が組織の中でいかに他者と助けあい協力するか
「まじめで、周りからの期待も大きく優秀な人ほど完璧を自分に求め他人に求めてしまう。不完全性を否定しまう。長所半分短所半分を思風先生が説かれる中で長所を伸ばし、短所を魅力に変えるにはどうすればいいのか」」
思風先生から
短所は助けてもらう事に喜び、感謝を感じるリーダーにならないと鬱になっていく。何でも自分でやってしまうというのは他人の出番を無くすかもしれない(他人の長所を活かす事が出来ない)
具体的にどこまで仕事を分け与えるかを考えていかないと自分自身を追い詰めてしまうことにつながる。
助けてあげる事も立派、助けてもらう事も同じくらいに立派
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会社(組織)の力というのは、1人ではなく連携したチームプレイの様な認識で1人で出来なくても5人、10人で行うというのを支配の認識で人を動かして行うからパートナーシップの視点で助け合い協力し合う組織力にしてほしい。
そして、仕事を「義務と責任」だけで捉えない事。
義務と責任が多いとやらされ感の仕事でストレスが溜まる原因になる
面白いから、興味があるから、好きだから
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沸いてくる興味関心好奇心に少しでも変化出来れば
同じ仕事でもやりがいを持つことが出来る。
その興味関心好奇心を持つ為のきっかけとしては意味と価値を感じる事。
「第二の黎明期を作る問いとは」
その語源がヤスパース。
※ヤスパースって実存系の権化みたいな人だった思うのですが、唯物史観の実存(実存は本質に先立つ)に感性のヒントを得るのは
初耳かもしれないです。今までは観念、唯心論的な内容に対して挑戦し否定し続けた実存から得られるのだと。
ヤスパースといえば限界状況
・元々ナチスの弾圧にあっていたヤスパースが唱えた限界状況は、不安、死、恐れを言っていて
限界状況に至った人間は自分の限界をまず気づき、あらゆるものを超越した存在に気付く(人間ではどうしようもない事を成し遂げる方)
そして限界状況がなぜ私たちにあたえられるか
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そこは超越した方から与えられているのではないか?
↓
それを暗号といって、暗号解読は
現在の状況かで精いっぱい生きる
でも暗号を知るには挫折が必要。
最終的には頑張るという事を言いたいのですが、
言い方を変えて、ニーチェは「超人」サルトル「アンガジュマン」
ハイデガー「先駆的了解」釈尊「生老病死」
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現実のつらい、苦しい現状をまずは受け止めて、苦しい所からいかに乗り越えるかを説いてるのは共通していると思われるところ。
※ヤスパースはナチス弾圧を受けていて、思風先生がよく引用されるベルクソンは第2次大戦下、病気、疎開、極貧生活でさみしい最期を迎えていて
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哲学者の方で生き方、これからの在り方を唱えている人というのを辿ると
原体験に大変つらい環境にあった方が多いのではないか?と。
戦争は当たり前の時代、弾圧もあり、
苦しみを受け入れざる負えない状況下だったからこそ
幸せになりたいというよりも、不幸を少しでも取り除きたい、といった反動が大きいのかなと思い
そこには日々突きつけられるマイナスな事をいつも体験しながら
何とか変えていこうと毎日毎日思い続けたからこそ出てきた思想なのかなと思い、
突き詰めて考えるというのが理性的かも?しれませんが「問う」事は徹底していた時代だったんだろうと思います。
第二の黎明期はドイツの哲学者、カールヤスパースの言葉
1949年にヤスパースが書いた「歴史の起源と目標」
その書物の中で、これから人類はこれから第二の精神の黎明期を迎えると予言している。
第一の黎明期から考えると
ヤスパースは「枢軸時代」と名付けている。
紀元前500年頃から発生した精神的過程。そこに最も深い歴史の切れ目がある。我々が今日に至るまで、そのような人間として生きてきたところのその人間が発生したのである。その時代が要するに<枢軸時代>と呼ばれるべきものである。
中国=孔子、老子、墨子、荘子、列子
インド=ウパニシャッド、仏陀、懐疑論、唯物論
イラン=ゾロアスター
パレスチナ=エリア、イザヤ、エレミヤなどの予言者
ギリシャ=ホメロス、ソクラテス、ヘラクレイトス、プラトン
全世界同時期に偉大な人物が生まれ、以降の人間の生き方を導いた。【生き方に目覚めた】
それを前提に考えると、これから我々はそれに匹敵する精神の黎明期(第二の黎明期)を迎える時代に来ている。
「黎明期に人類が気付く事とは」
命から湧いてくるものは根底に宇宙がある。
生命の目的=「何のために生きるのか」
それは2つ、自己保存と種族保存の欲求
そこには「欲求」が存在し、そこにこれから人間が人間らしく生きていく根本原理がある。
本能的に食べて、寝て、健康に留意して生きる、子孫を残す
すべての生物に共通していること。母なる宇宙が生きる目的を与えているのが欲求だとしたら
欲求を否定する事は命の目的に反する事になる。
これを知ることが第一回の黎明期を超え、第二回の黎明期に人類が気付く事。
欲求、欲望を悪とみなさず、人間が人間的に生きる為の根底にある欲求、欲望が無ければ生きる意志が育たない。
欲求、欲望の意味を自覚して、みんなの為になる、感謝される方法で欲求、欲望を実現してほしい。