2017年8月8日(火)釈正輪先生 講話会

釈正輪先生の講和会

梶浦逸外老師の「住職にならず、僧侶になりなさい」の言葉に従い、単立法人の宗教家として、世界の聖地を巡礼しながら、宗派・宗教を超えた平和・教育活動を展開されています。

 

40歳の時、自殺寸前までいった自身の体験から知人や信者7人が相次いで自殺し、名をかたった詐欺で多くの人が被害を受け、さらに生命保険を解約した日にがんの宣告を受けるなどの不運が重なり、自ら命を絶とうとした時、首吊りから引き戻したのは、偶然帰宅した娘の声。

 

以来、閉ざされた孤独な人たちへの声掛けを続けていらっしゃいます。自殺すると言って死んだ人は少なく、自殺者は自分の殻に閉じこもる人に多い。自分を卑下するあまり、周りから断絶してしまう。

 

釈迦の悟りの境地は「今を生きる」。世は無常なのだから、取り返せない過去にも、分からない未来にも縛られず、今を誠実に生きる。今に集中していれば、魔が差すことはない。

 

いつも気軽にラフな感じでお会いさせて頂いてはいますが、話の内容は大変深い内容が多く、今でも修行をどれだけ積むよりもボランティア活動をしていた方が世の中のお役に立てたのではないかと、そして大切なのは今を生きるという点において、自ら働きかけを行う、その講和会を通して実際の生の声、体験談、海外情勢から政治、宗教、歴史と幅広く教えて頂いております。

次回は8月8日の開催

歴史以外では命についてや自殺についてをよくお話頂いております。

「命の重み」

祈りや加持祈祷ではどうしようもない事もある

そんな中において、本当に大切なのは「友」(仲間の存在)それがあるから頑張れる。

※仏教の教えでは、他人の為に亡くなる行為は自殺とは言わないそうです。

いつもおっしゃられるのは仲間の存在。自殺においてもふとした瞬間でやってしまうケースが多い。我に返る一瞬手前の段階でふとしたきっかけで首をくくってしまったり身を投げ出してしまうなど、本当にちょっとした瞬間でという事でした。

そこにいきつかない為にも仲間の存在、認められる認め合う事があるからこそ頑張れる。というのをいつも大切におっしゃられています。

「仏教は宗教ではない」

仏教は仏道であり、宗教ではない。言い換えると仏教は思想である。本当の仏教と言うのは、超ニヒリズムで、現実的お釈迦様(ガウタマ・シッダールタが本名)の誕生から亡くなるまでの内容を事細かく教えて頂き神様、仏様と手を合わせて拝むのを望んでいたのではなく、自分自身の心に向き合う事を説いていたという事で

「人間の心の中から全て苦しみが生まれる」

心の境地を仏道と捉え四諦という言葉で
苦諦:苦という真理(このなかに生きる悩み、老いる悩み、病気の悩み、死ぬ悩み)
集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理
という事で4つの苦しみがさらに細分化して四苦八苦という言葉が生まれた。

お釈迦様は上記の様な悩み、苦しみを心を正して不安を少しでも和らげていく為に正しい言葉、姿勢、反省をする事が大切
そして

「使命があって意味があって生まれてきている」

幸せになる為に私のことを認めてくれる人がいて、私の周りにいる事が大切とお釈迦様が説いている。

私と相手同じ目線で見てくれる、認めてくれる人がいる時にカルマというのが浄化され
ブッダになっていく(なお、ブッダは誰という事ではなく誰でもなれるとの事で悟りし者の名前)
その為にも対話説法を重視して行っていたとの事です。つまり、絶対的な権威があって、これでなければいけない!という事ではなく、その人その人に合わせて同じ目線で見ていたという事かなと思います。
お釈迦様は現在のインド(当時北インド、現ネパール)でシャカ族(シャーキャー族)の王様として29歳までは過保護に豪遊生活をしていたが、外の世界を見た時にこれではいけないという事で6年間修行に出て何故生まれ、老い、死ぬのかを問い続け、その後80歳の2月15日に亡くなるまで対話説法を続けていたと。

「真実のイエスキリストの教え」

戦国時代の武将(大友宗麟、蒲生氏郷 、黒田長政 、小西行長 、
高山右近等)が何故当時厳しい時代に新しく入ってきたキリスト教に改宗(キリシタン大名)になったのか?

その何故が重要で。そこには「愛」があったと。

それまでは主従関係が当たり前で、与えたら求めるというのが当たり前だった時代に

「イエスは与え続ける」当時与えるというのが新鮮で、当時の武将がキリスト教になった経緯はみんな千利休の影響が強いと言われ、利休の下に集まった武将は改宗し、その後影響が強くなった為に秀吉に弾圧されたと。

 

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