つるぎ山を訪ねる阿波女神ツアー、日本人とユダヤ人について

今回参加できずでした

つるぎ山を訪ねる阿波女神ツアー

年に数回参加しています。

阿波忌部

今回は少し角度を変えて、阿波忌部とイスラエル(ユダヤ)について

というのも、過去に元駐日イスラエル大使のエリ・コーヘンさんが来られ、ユダヤと剣山についてを語って頂いている事から

エリ・コーヘン氏

凄いエピソード

エルサレムでテロリストが満員のバスに手榴弾を投げ込もうとしているのを見て、咄嗟にその場に突進し、空手でテロリストの腰を攻撃し一撃で気絶させ、バスの乗客全員の命を助けたという逸話の持ち主

エリ・コーヘン氏

イスラエル松涛館空手道協会名誉会長元 駐日イスラエル大使
1949年 イスラエルのエルサレムに生まれる。
国立ヘブライ大学数学・物理学科を卒業。後にロンドンでMBAも取得。
1986年 マーレアドミム市副市長。 1991年 国防省ナハル局局長。
1993年 周辺地域開発担当局長。 1997年 国防大臣補佐官に就任する。
2002年 イスラエル国会議員(リクード党)
2004年から2007年まで、駐日イスラエル大使を務める。

IT関係の会社経営者という民間の立場から国会議員、駐日大使となった。 日本を愛し精力的に活躍した大使として多くの交流基盤を築いた。 任期後はイスラエルで旅行会社を経営し、また松涛館の空手師範として 世界で活躍、日本では湖雲寺道場で子供達や社会人に空手を教えている。 日本との友好関係に根本的な変革をもたらしたいという思いを抱く。 大の親日家で、宮本武蔵の「五輪書」が座右の書。

イスラエル松涛館空手道協会名誉会長(松涛館五段黒帯) 全日本剣道連盟居合道(四段)

大使が書いた日本人とユダヤ人

ユダヤ教徒であるコーヘン氏にとって、日本の八百万の神概念とユダヤの神概念の間に、何かとても共通したものを感じ、コーヘン氏によれば、神道でいう「八百万の神々」というのは、全ての場所に神が臨在、偏在していることの象徴であるという。「日本の神社に鏡がある。神は人間を神の似姿に創られた。人が鏡を見るとき、神を見ている」
そして、資源も乏しいイスラエルと日本のどちらも技術や経済で高いレベルを達成してきたのは「人間の力」だと指摘

※歴史的な背景として
古代ユダヤの秘宝「契約の箱」が眠るとされる剣山に、弘法大師・空海が四国八十八箇所霊場を開いて結界を張り巡らせたことにより、四国は「死国(しこく)」として封印されることになりました。歴史の表舞台から姿を消し、代わりに表舞台に現れるのが、奈良の大和地方のようです。

大和心・大和魂・大和民族・大和の国と言うように、日本人や日本国を表す「大和」という言葉は元々、奈良の大和地方を表す言葉だったようですが、奈良の大和地方が歴史の表舞台に登場する前の、原型のようなものが阿波の国・徳島にあり、それが封印されてしまったと言われています。

※簡単に言うと、歴史的に抹殺されてしまったという事で当時、平和的な感性を持って天皇家の祭祀として使えていた忌部氏が藤原氏(中臣氏)に武力で支配され歴史から姿を消したといわれている部族が阿波忌部族
ユダヤと共通している点は多数あるとコーエン氏いわく、大きいところとしては
ユダヤ人が2000年の時を越えてユダヤ教を守り通せた事と日本人が日本の文化(神道)を守り抜いてきた事
剣山(阿波忌部)において、その守り抜かれてきた様々な形跡が今でも残っていて
過去に林先生の講演でも

「剣山系の農業を守ることは、日本屈指の植生や生態系を守ることにもなる。」

「3000年の歴史が続くには農業と共に信仰があった」

剣山系の伝統農業を支える信仰と習俗について第1段階から第8段階までの流れ

第1段階:縄文後期から原始信仰:アニミズム
影信仰(遺跡)、石窪信仰(遺跡)、石棒のマツリ、立石列石(ストーン、アライメント)

第2段階:縄文晩期~弥生:原始信仰の発展、特定の事物にカミ、精霊が宿る観念(カミ信仰)
森内部に簡素な石囲い(石殿)、立石列石、立石(メンヒル)

第3段階:弥生~古墳時代(本格的な農耕の開始):本格的なカミ信仰と斎場の形成
集会所としての斎場の形成「盤座」(巨石)信仰、「盤境」の形成、四至石などの結界的遺構、神山信仰(神奈備山)、銅鐸、銅剣のマツリ、祖霊信仰(氏神)、古墳祭祀

第4段階:古代(飛鳥、白鳳、奈良時代)
「社」(神社、ヤシロ)の成立
仏教の流入、修験道の成立

第5段階:奈良時代~平安時代:神仏習合思想の成立
山岳仏教(真言宗)、修験道の発展、仏像、御堂、芸能の成立

第6段階:鎌倉時代
鎌倉新仏教の流入、浄土宗、浄土真宗、念仏踊り

第7段階:室町時代
芸能の発達、板碑(供養碑)の流行

第8段階:近世(江戸時代以降)

天皇家に使えていたというのは山崎の忌部神社においても記載がありました。
大嘗祭(だいじょうさい)は、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭。
大宝律令の神祇令に「凡そ践祚の日,中臣は天神の寿詞(よごと)を奏せ、忌部は神璽鏡剣(しんじのかがみつるぎ)を上(たてまつ)れ」とあるように、京師の忌部は大嘗祭の都度、皇位の印である鏡と剣を作り奉っていたのですが、1036 年、第 69 代・後朱雀天皇を最後に廃止となり、中臣の寿詞だけとなります。本来の八咫鏡は伊勢神宮で祀られ、天叢雲剣は熱田神宮のご神体として祀られています。

麁服とは、天皇が即位後初めて行う一世一度の大嘗祭においてのみ使用する、阿波忌部が織りあげた麻布の神服(かむみそ)

麁服は天皇自身が着るのではなくて、天皇が神衣として最も神聖なものとして、天照大神にお供えする物です。上古より阿波忌部の氏人が製作するから麁服なので、忌部以外の人達が作成すれば、それはただの麻織物。

阿波忌部

 
阿波忌部

ユダヤ教徒であるコーヘン氏にとって、日本の八百万の神概念とユダヤの神概念の間に何かとても共通したものを感じ、コーヘン氏によれば、神道でいう「八百万の神々」というのは、全ての場所に神が臨在、偏在していることの象徴であるという。「日本の神社に鏡がある。神は人間を神の似姿に創られた。人が鏡を見るとき、神を見ている」

コーエン氏以外にも釈先生から「日本とイスラエルの類似」において

日本とイスラエルついてはモーゼの話に遡るのですが

モーゼは実は桃太郎と非常に類似した過去があり

どんぶらこのお椀が川で流れてくるところからこれは神様が与えてくれた子供だと思い、育てられただし、モーゼは自分がカナンの出身だということを知って親子の対立が生じてしまうと。

モーゼは兄がいることを知り(名前はアロン)
アロンはパレスチナを建設し初代国王の名前がダビデであったと。

イスラエルは北イスラエルと南イスラエルとに分かれており、アシリア帝国が治めた後にバビロニア帝国が出てペルシャ帝国が出来た。ペルシャの立法で自治を認めていた時に、イスラエルに帰る事を許されている中で、唯一戻ったのがユダ族であったと。

ほかは東へ東へ移動して日本にたどり着いたと言われています。
また、日本にたどり着くまでにおいては朝鮮半島を経由して渡った経緯があるとの事で
その様な我々の文化文明がたどり着くまでの歴史や背景を知る事が重要であると説いていらっしゃいます。

参考までに古代イスラエルと近代イスラエルとの違いについて

近代イスラエルついてはユダヤ人を中心に
「ユダ族」が世界中を放浪しており(当時のユダ族においては国を創りたいというのが夢であった)

ユダ族が世界中で商売を行って利益が出て(ただし、金貸しでの利益であったこと)と
汗水流して働く事が仕事の基本とみなされていた時でありそのお金をアメリカ、イギリスに渡して、その見返りにイスラエルという国家を創り近くにパレスチナがあってパレスチナ人を排除して結果中東戦争につながっていったという経緯。

古代イスラエルについては
アダムとイブがおり
サタンがイブにりんごを与えてそのりんごを噛じった結果、羞恥心が芽生え性の営みを持たせてアダムにも食べさせて神の逆鱗に触れてしまったと。

自分なりにまとめると

 

イスラエルも日本も元々は文明を築き上げてきた民族ではあるが様々な経緯を辿ると、必ずしも幸せな歴史を辿ってきた訳ではない。

しかし
歴史の中で文化(宗教、儀式、感性、農耕、建築、等々)が途絶えずに続いているのは
次の時代への新たな気づき、そして文化を継承し守り続ける大切さを知る事につながるのでは?ないかという事

技術革新や新しい産業が起こる事なども大切ではあるものの
それ以前に戦争が続いた20世紀の中で途絶えず続いてきたものを見直すところに焦点を当ててもいいのでは?ないかという視点と
平和の時代を求めるのであれば、元々平和的な感性や統治を行っていた

ご先祖様がどういう活動をしていたのか?を知る事が大切ではないかという事

なのかなと思います。