5月13日(金)「禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会」開催します。

禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会

日時 2016年5月13日(金)19時~21時(開場は18時30分から)
場所:和泉橋区民館洋室D
〒101-0041 東京都千代田区神田佐久間町1丁目11-7
会費:社会人1,000円 学生無料(会場費、資料代)※当日、会場にて集めさせて頂きます。

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昨今メンタルヘルス、うつ、パワハラ等々騒がれている中、いかに心の平安を保ち続けながら日々生きて、仕事を出来るかというのは自分自身の課題でもあります。「スキルは身につければそうそう落ちることは無いと思いますが、心は常に揺れ動く事があるからこそ、日ごろの手入れ、、というかメンテナンスが必要になるのかなと思います」

また、我々の様な業界の人間となると
あふれる情報の中で何が本当に大切なことか!が大切だったりもしていて、本質を見抜く直観力が、今まで以上に必要な時代になっています。

不確定性を秘めた変化の激しい外部環境の中で、感性を磨いていくためには、まず内部環境である「心の平安」を取り戻し、感性を磨く工夫が重要です。

この講座では、2500年の歴史をもつ禅的瞑想法を誰でもできる「イス禅」としてお伝えします。

禅では、誰もが持っている心の中に「仏さま」がいると教えています。禅の眼、瞑想の智慧によって、自分のことを深く見つめれば、「この心こそ仏さまである」であるという大真実に気がつくというのです。

坐禅をしたり、瞑想をしたり、神仏に祈ったりすることは、「サムシング・グレート」と親しむための方法といえるでしょう。坐禅によって、誰もが「サムシング・グレート」に親しむことができ、心豊かになれると教えるところが、禅の現代的な意義であろうと思います。

講師の笠倉先生はご自身の心の病をきっかけがあって禅の修行を大学時代から約30年近く行っておられ、途中会計士の資格を取得し監査法人に勤めながら、禅の修行やイス禅の教えも行われて
時間があれば参加させて頂いております。

禅は、2500年前のお釈迦さまの時代から、仏教の大事な瞑想修行の方法として受け継がれてきました。しかし、本格的に坐禅をするには、指導してくれる道場が少ない、初心者にとってかなり足が痛くて苦痛であるなどの問題があります。そこで、この勉強会では、誰でもできる禅的な瞑想法として、イス禅を皆さんと一緒に実習します。という内容で月1回開催しております。

禅では「衆生(しゅじょう)本来(ほんらい)仏(ほとけ)なり」といいます。

誰もが本来、仏教と同じ美しい心、宝物のような心を持っているという教えです。

ただ、日々の忙しさやストレスでマイナス感情の意識が生まれ(煩悩)自分の宝物を忘れてしまっている。

これをイス禅の瞑想により心が「空(くう)」に近づく時間を持つ事で仏様(サムシンググレート)の世界と一体に近づく!
それを固く意識して行う事ではなく自然と1日10分イス禅をするだけでも誰もが持っている心の宝物が自然に輝きますという事で
難しく取り組む事なくイス禅をベースに開催しております。

(禅の効用)
・心を「空」にすることで、心が安らぎ、ストレスが溶けていく
・潜在意識のレベルで創造性が高まる
・しなやかで折れにくい心(平常心)が養われる⇒常々これを身につけたいと思っております。。

講師の笠倉先生は実際にご本人自身が元々子供の頃から学んでいたという訳ではなく、大学時代に心の悩みを持ちながら、禅を知って学んで、学校の先生、公認会計士を経て独立され現在は実生活(実務)に即した形で会計的な側面からのアドバイスと心の側面から椅子禅においての心の豊かさ、強さを持って会社経営、仕事に取り組もうということで展開されております。

禅の修行やイス禅の教えも行われて時間があれば参加させて頂いております。

「目に元気のある会社は業績がいい!」
特に小さい会社であれば尚更!!
それを10年位会計士の仕事を行う上で見えてきたとの事です。

経営者と社員の健康こそ会社の財産という事でイス禅瞑想法は心身の健康を増進→経営の力にも!

という点で、経営者の方の参加も頂いております。

 

■地獄とは何か?

禅の歴史の中で、最も有名な禅話が多いのが、9世紀の中国で活躍した趙州和尚(じょうしゅう-おしょう)。趙州(じょうしゅう)の禅話の中から、「まっさきに地獄落ち」というお話を紹介します。

趙州(じょうしゅう)の弟子には、僧侶だけではなく、社会で活躍されている在家(ざいけ)の方もいました。現代でいえば、総務省の局長クラスという偉い官僚であった崔(さい)さんが、趙州(じょうしゅう)に質問しました。

「趙州(じょうしゅう)さまのような、悟りを開いた偉い和尚さまでも、地獄に落ちるものでしょうか?」

「地獄」とは、死んでから行くといわれる地獄という意味もありますが、それだけではありません。私たちの心のあり様を示す言葉でもあります。 禅仏教では、「地獄」とは、死んでから行くところではなく、日常生活の中で、怒りや欲望で自分を見失っているときをいうのです。

また、趙州(じょうしゅう)は、「わしが先に地獄に行かなければ、あなたのような迷える人々を救えんからな」と答えました。

自分ひとりで悟りの世界を楽しむことに満足するのではなく、苦しみ悩んでいる人に寄り添い、救おうというのが、大乗仏教の教えであり、禅仏教の理想でもあります。

これをビジネスで置き換えてみた場合に

リーダーのあるべき像を伝えていると思います。困難なとき、危機的なときに、リーダーがその困難から逃げずに、困難な問題と真正面から取り組むことが、チームメンバーを奮い立たせ、道を開くことになるでしょう。

 

禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会