禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会開催しました。

今回は岡本太郎(おかもと-たろう)の言葉に禅の精神を学ぶ

岡本 太郎(おかもと たろう)は、戦後日本を代表する現代美術の大家です。ご本人は、禅をしたわけではありませんが、その生き方や言葉は大変禅的であり、今日においては、岡本太郎の言葉を通して禅の精神を学ぶことができると考えています。

<岡本太郎とは?>
(1911年(明治44年)2月26日 – 1996年(平成8年)1月7日)

日本の芸術家。血液型はO型。1929年(昭和4年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごし、抽象美術運動やシュルレアリスム運動と直接関わった。第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画・立体作品を制作するかたわら、縄文時代や沖縄のプリミティブな美術を再評価するなど、文筆活動も精力的に行った。雑誌やテレビなどのメディアにも積極的に出演した。

1970年(昭和45年)に大阪で万国博覧会が開催されることが決まり、主催者(国)は紆余曲折の末、シンボル・タワーの制作を岡本太郎に依頼した。太郎は承諾し、「とにかくべらぼうなものを作ってやる」とひたすら構想を練った。そうして出来上がったのが巨大なシンボル・タワー『太陽の塔』である。これは、当時の知識人たちから「牛乳瓶のお化け」「日本の恥辱」などと痛烈な批判を浴びた。しかし太郎は、「文明の進歩に反比例し、人の心がどんどん貧しくなっていく現代に対するアンチテーゼとしてこの塔を作ったのだ」と反論した。「国の金を使って好き勝手なものを造った」という批判に対しては、「個性的なものの方がむしろ普遍性がある」と反論した。主催者が塔の内部に歴史上の偉人の写真を並べるつもりだったのに対し、太郎は「世界を支えているのは無名の人たちである」として、無名の人々の写真や民具を並べるよう提言し、実現させた。
塔の目の部分をヘルメット姿の男が占拠し、万博中止を訴えたアイジャック事件の際には狂喜して、居合わせたマスコミに対し「イカスねぇ。ダンスでも踊ったらよかろうに。自分の作品がこういう形で汚されてもかまわない。聖なるものは、常に汚されるという前提をもっているからね」と言った。日本万国博覧会は成功のもとに終了。1975年(昭和50年)、『太陽の塔』は永久保存が決定。現在も大阪のシンボルとして愛されている。

1970年代以降は、芸術や著述のみならず、テレビなどにも進出。日本テレビのバラエティ番組『鶴太郎のテレもんじゃ』にレギュラー出演。冒頭でリヒャルト・シュトラウス『ツァラトストラはかく語りき』を鳴り響かせ、ドライアイスの煙の立ちこめる中から太郎が異形の面貌で、 「芸術は爆発だ」「何だ、これは」と叫びながら現れる演出が人気を博し、流行語にもなった。番組内で出演した子供たちの絵を批評し、お眼鏡に適う作品を見出した際には、目を輝かせた。またこの番組内で共演した片岡鶴太郎の芸術家としての才能を見出している。
1987年(昭和62年)にはテレビドラマにも出演。NHK『ばら色の人生』に俳優としてレギュラー出演した。
老いを重ねても創作意欲は衰えず、個展など精力的な活動を続けていたが、80歳のときに太郎が所蔵するほとんどの作品を川崎市に寄贈。市は美術館建設を計画する。
1996年(平成8年)1月7日、以前から患っていたパーキンソン病による急性呼吸不全により死去(満84歳没)。生前「死は祭りだ」と語り、葬式が大嫌いだった太郎に配慮し、葬儀は行われず、翌月2月26日にお別れ会として「岡本太郎と語る広場」が草月会館で開かれる。会場には彼の遺した作品たちが展示され、参加者たちは太郎との別れを惜しんだ。

1998年(平成10年)、青山の彼の住居兼アトリエが岡本太郎記念館として一般公開された。1999年(平成11年)、川崎市岡本太郎美術館が開館。2003年(平成15年)、メキシコで行方不明になっていた大作『明日の神話』が発見された。

岡本太郎の名言『自分の中に毒を持て』(青春文庫)より
① 仏に逢えば、仏を殺せ岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春文庫) p30

かなり以前のことだが、京都文化会館で二、三千人の禅僧たちが集まる催しがあった。どういう訳か、そこで講演を頼まれた。ぼくはいわゆる禅には門外漢であり、知識もないが、自由に発言することが禅の境地につながると思う。日頃の考えを平気でぶつけてみよう。そう思って引き受けた。

ぼくの前に出て開会の挨拶をされた坊さんの言葉に、臨済禅師という方はまことに立派な方で、「道で仏に逢えば、仏を殺せ」と言われた、素晴らしいお言葉です、という一節があった。有名な言葉だ。ぼくも知っている。確かに鋭く人間存在の真実、機微をついていると思う。

しかし、ぼくは一種の疑問を感じるのだ。今日の現実の中で、そのような言葉をただ繰り返しただけで、はたして実際の働きを持つだろうか。とかく、そういう一般をオヤッと思わせるような文句をひねくりまわして、型の上にアグラをかいているから、禅がかつての魅力を失ってしまったのではないか。

で、ぼくは壇上に立つと、それをきっかけにして問いかけた。
「道で仏に逢えば、と言うが、皆さんが今から何日でもいい、京都の街角に立っていて御覧なさい。仏に出逢えると思いますか。逢えると思う人は手を上げてください」
誰も上げない。
「逢いっこない。逢えるはずはないんです。では、何に逢うと思いますか」

これにも返事がなかった。坊さんたちはシンとして静まっている。そこでぼくは激しい言葉でぶっつけた。
「出逢うのは己自身なのです。自分自身に対面する。そうしたら己を殺せ」

会場全体がどよめいた。やがて、ワーッと猛烈な拍手。
これは比喩ではない。

人生を真に貫こうとすれば、必ず、条件に挑まなければならない。いのちを賭けて運命と対決するのだ。その時、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の味方であり、また敵なのである。

今日の社会では、進歩だとか福祉だとかいって、誰もがその状況に甘えてしまっている。システムの中で、安全に生活することばかり考え、危険に体当たりして生きがいを貫こうとすることは稀である。自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。

己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、生きぬかなければならない。今日の、すべてが虚無化したこの時点でこそ、かつての時代よりも一段と強烈に挑むべきだ。

ぼくは臨済禅師のあの言葉も、実は「仏」とはいうが即己であり、すべての運命、宇宙の全責任を背負った彼自身を殺すのだ、と弁証法的に解釈したい。禅の真髄として、そうでなければならないと思う。

臨済禅師の有名な言葉を岡本太郎は、独自の解釈で、今現在の自分に引き付けて説いています。「出逢うのは己自身なのです。自分自身に対面する。そうしたら己を殺せ」
このような活きた大説法ができる人は、そのように人生を送った人だけでしょう。私のような普通の人間には、とても思いつかない表現ですし、かりにマネをしても、説得力を持ちません。ただ、すなおに、岡本太郎の言葉と生き方を学んで、自分なりに参考にしていくことしかできませんが、太郎に言わせれば、そのような態度は、「自分に甘えている」と叱られるかもしれません。
さて、臨済禅師の名言について、正統的な臨済禅の説明もご紹介しておきましょう。

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』・西村惠信(前・花園大学学長/禅文化研究所所長)

―仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ(『臨済録』示衆)

 正しいものの見方を持とうとするならば、決して人に惑わされてはいけない。自分の内であれ外であれ、出逢うものは直ちに殺せという教えである。危険極まりない臨済禅師の言葉の陰に、人間としての主体性を確立させようという、禅師の熱い慈悲心が隠れているのを、見落としてはいけない。

『臨済録』が初めて英訳されて世界に紹介されたとき、「仏や祖師に出逢ったら直ちに殺せ、父母や親族に出逢っても殺せ」とあるのを見て、西欧のクリスチャンたちは禅はなんと恐ろしい宗教ではないかと眉を顰めたらしい。

 およそ宗教とは思われないこの「禅宗」という東アジアに独特の宗教は、いわゆる有神論ではない。そうかといってまた、ニーチェが神を殺して唱えた「ニヒリズム」でもない。
 臨済は決して無神論者ではない。彼は門人たちに向かって、お前ら一人ひとりの中に具わっている「一無位の真人」(形なき真実の自己)を見い出せと迫ったのである。この形なき自己は、固定的に存在するものではなく、朝から晩までわれわれの感覚器官を通って、活発に出たり入ったりしているという。
 それこそが「本当の自分」というものであって、それ以外に真実の自己などあり得ないという。従って真実の自己に出逢うためには、自分を惑わせるもの、特に権威をもって自分に迫ってくるものは、たとえそれが仏や祖師、父母や親族であっても、徹底して否定しなければならないと臨済はいう。

 仏陀は二千五百年前すでに、「己れこそ 己れの寄る辺 己れを措きて 誰に寄る辺ぞ よく調えし己れにこそ まこと得難き 寄る辺をぞ得ん」(『法句経』)と説いている。そうなると禅宗こそ、仏陀の精神をしっかりと伝える「正伝の仏法」ということになろう。

『無門関』(むもんかん)の第46則に「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に須(すべか)く歩を進め、十方世界に全身を現ずべし」という禅語があります。

「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」ということわざとなって、一般的にもよく使われる言葉です。
『デジタル大辞泉』によれば、「百尺の竿(さお)の先に達しているが、なおその上に一歩を進もうとする。すでに努力・工夫を尽くしたうえに、さらに尽力すること、また、十分に言を尽くして説いたうえに、さらに一歩進めて説くことのたとえ。」という解説があります。
『無門関提唱』安谷白雲・著より

『百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に坐する』とは、「これは悟った!」というところに座っていることだ。その悟りの世界からさらに一歩も二歩も前進するとどうなるか。

『十方世界に全身を現ず』となる。
それは、100%完全燃焼するということです。『十方世界に全身を現ず』とは、悟って悟って、悟りの世界にもひっつかいていない。もちろん、迷いの世界にもひっついていない。自分勝手なけちな凡夫根性はもちろんない。悟り臭いものも持っていない。

小人といって自分勝手ばかりやる小さな人物じゃ無論ダメだが、君子(くんし)といわれても、君子臭くてもいけない。道徳家くさくてもいけない。悟りくさくてもいけない。

そういうものが全部なくなると100%完全燃焼する。悟りであろうと、どんな立派なものでもあろうと、それがあるとそいつは不純なものだから、そいつは燃焼しない。そんなものが混じっていてはいけない。そうすると十方世界に全身を現ずることができる。

そうすると、何をしても100%の仕事ができる。絶対価値の仕事ができる。
そう言う人になるのが仏道修行の目標、禅の目標なんです。

100%完全燃焼して、絶対価値の仕事ができる人間になるというのが、禅による人間形成の目標ということです。
簡単に達成できる目標ではありませんが、一つのポイントは、相対的な価値観の世界、つまり勝ち負けの世界を忘れて、自分が完全燃焼するということでしょう。勝ち負けを超えた絶対価値の世界に生きようとするのが、禅の魅力の一つでありましょう。
「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」という禅語についても、岡本太郎は、『自分の中に毒を持て』(青春文庫)の中に、素晴らしい注釈を残してくれています。
もちろん、岡本太郎本人は、そのつもりで書いているわけではなく、文章を読んだ私が勝手にそのように受け取っているだけですが、色々なことに悩んでいる方には、きっと励ましになると思いますので、以下に紹介いたしましょう。

岡本太郎 『自分の中に毒を持て』(青春文庫) p13

そうは言っても、人はいつでも迷うものだ。あれか、これか……。
こうやったら、駄目になっちゃうんじゃないか。

俗に人生の十字路というが、それは正確ではない。
人間は本当は、いつでも二つの道の分岐点に立たされているのだ。
この道をとるべきか、あの方か。どちらかを選ばなければならない。迷う。

一方はいわばすでに慣れた、見通しのついた道だ。安全だ。一方は何か危険を感じる。もしその方に行けば、自分はいったいどうなってしまうか。不安なのだ。しかし惹かれる。本当はそちらの方が情熱を覚える本当の道なのだが、迷う。まことに悲劇の岐路。

こんな風にいうと、大げさに思われるかもしれないが、人間本来、自分では気づかずに、毎日ささやかではあってもこの分かれ道のポイントに立たされているはずなんだ。

なんでもない一日のうちに、あれかこれかの決定的瞬間は絶え間なく待ちかまえている。朝、目をさましてから、夜寝るまで。瞬間瞬間に。

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