釈正輪先生の講和会

釈正輪先生

今回の釈先生の講和会においては

質問形式にて開催。毎回はテーマを決めての開催になりますが今回は少し違った視点での展開。

いつも、歴史:正しい歴史観を持つという正史観

歴史以外にも、宗教、哲学はじめ国際政治情勢、心の病について等々。出会ってから早4年、毎月の講和会という形で参加させて頂いております。

 

釈先生ご紹介

梶浦逸外(かじうらいつがい)、大森曹玄(おおもりそうげん)、黒田武志(くろだぶし)、李西翁(りさいおう)の四大老師に師事、更に真言・天台の隔週を研惨鑽修行。中部の霊峰高賀山に於いては「千日回峰行」(せんにちかいほうぎょう)を達成し大阿闍梨(だいあじゃり)となり、密教の荒行「入水往生」ならびに山岳回峰「六社巡り」を復興、20年間に渡り継続する。

その後、形骸化した宗門に疑問を抱き、独自の宗教観により世界宗教の聖地巡礼を行い、マザーテレサの信仰実践とダライ・ラマ十四世の宗教的覚醒に触れたことが、自身の宗教的活動に大きな変化をもたらすこととなる。中でもイスラームの聖地、マッカ大巡礼は偉業である。世界の皇室関係また国家元首はじめ宗教指導者との交流も深く、特にスリランカ代菩提会会長バナガラ・ウパテッサ大僧上とは旧友の仲である。高校・大学と教鞭をとり、天台寺門宗本山布教教師などを経る。柿本寺(旧倭宗)住職を拝命し再建中である。
日本国並び日本人の生き方を提唱、再認識し実践とする日本大僧伽(やまとだいさんが)主宰。
MAO塾(児童教育施設)。
直心影流(じきしんかげりゅう)師範(免許皆伝)。
真新影流(しんのしんかげりゅう)を研究。

 

今回は歴史(古代)について天武天皇、藤原不比等により古代文献、古代文書が抹殺されたであろう話から、天皇家とのかかわり

歴史的に抹殺されたであろう部族は恐らくたくさんいるとのこと。だから歴史的に古事記がスタートになっていて、それ以前の書物が残っていない状況。

過去に何度か記載しているこちらの忌部族においても、書物としては残っていないが恐らく歴史的に抹殺されているであろうから公に世には出せないとのことでした。

また、士農工商において現在の制度になっているのは江戸時代以降から、その前は士農工商の下には2つ分類されており

実はその1つに天皇家とのかかわりの所があったとのこと。

釈先生

何故なら血統(血をまぜらせたくない)それは卜部族や忌部族はその名の通り、占いをやって、葬式をやっていた。それも天皇家のを行っていたとのことで、血統がまざっているであろうというのは近親相姦で障害を持つ可能性が高く、血統を大切にするからこそそこに他の血が交わらない様にとのことであえて他の部族が入らない様に排除する形式を持っていたとのこと。

面白いのは、Y染色体というのがあり

人間は23対の染色体を持ちその性染色体は、女性は『XX』で男性は『XY』と呼ばれている

この一つだけ違う『Y』の部分が男性になることを決定するので、『Y染色体』は父親から息子にのみしか遺伝しない

つまり「男系男子」のみに『Y染色体』が継承されるということになる

Y染色体は、その男性の父親のものであり、同時に祖父、曽祖父のものとも同一、神武天皇から今上天皇まで受け継がれてきたという事。

そのY染色体が男系にしか継がれないからこそ、皇位継承においても男系が大切と捉えられているという事があり、昔から血統(血筋)を大切にしてきたことにより遺伝子(DNA)が受け継がれている。その視点に置いていい悪いは別として男系を重視するのはそこにあるとのことでした。

参考情報

皇統の本質はY染色体である

何故天皇家は男系の血筋を守るのか?

皇位継承・・・Y染色体の世代間連続性について

 

そして、歴史以外では命についてや自殺についてをよくお話頂いております。

「命の重み」

祈りや加持祈祷ではどうしようもない事もある

そんな中において、本当に大切なのは「友」(仲間の存在)それがあるから頑張れる。

※仏教の教えでは、他人の為に亡くなる行為は自殺とは言わないそうです。

いつもおっしゃられるのは仲間の存在。自殺においてもふとした瞬間でやってしまうケースが多い。我に返る一瞬手前の段階でふとしたきっかけで首をくくってしまったり身を投げ出してしまうなど、本当にちょっとした瞬間でという事でした。

そこにいきつかない為にも仲間の存在、認められる認め合う事があるからこそ頑張れる。というのをいつも大切におっしゃられています。

「仏教は宗教ではない」

仏教は仏道であり、宗教ではない。言い換えると仏教は思想である。本当の仏教と言うのは、超ニヒリズムで、現実的お釈迦様(ガウタマ・シッダールタが本名)の誕生から亡くなるまでの内容を事細かく教えて頂き神様、仏様と手を合わせて拝むのを望んでいたのではなく、自分自身の心に向き合う事を説いていたという事で

「人間の心の中から全て苦しみが生まれる」

心の境地を仏道と捉え四諦という言葉で
苦諦:苦という真理(このなかに生きる悩み、老いる悩み、病気の悩み、死ぬ悩み)
集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理
という事で4つの苦しみがさらに細分化して四苦八苦という言葉が生まれた。

お釈迦様は上記の様な悩み、苦しみを心を正して不安を少しでも和らげていく為に正しい言葉、姿勢、反省をする事が大切
そして

「使命があって意味があって生まれてきている」

幸せになる為に私のことを認めてくれる人がいて、私の周りにいる事が大切とお釈迦様が説いている。

私と相手同じ目線で見てくれる、認めてくれる人がいる時にカルマというのが浄化され
ブッダになっていく(なお、ブッダは誰という事ではなく誰でもなれるとの事で悟りし者の名前)
その為にも対話説法を重視して行っていたとの事です。つまり、絶対的な権威があって、これでなければいけない!という事ではなく、その人その人に合わせて同じ目線で見ていたという事かなと思います。
お釈迦様は現在のインド(当時北インド、現ネパール)でシャカ族(シャーキャー族)の王様として29歳までは過保護に豪遊生活をしていたが、外の世界を見た時にこれではいけないという事で6年間修行に出て何故生まれ、老い、死ぬのかを問い続け、その後80歳の2月15日に亡くなるまで対話説法を続けていたと。

「真実のイエスキリストの教え」

戦国時代の武将(大友宗麟、蒲生氏郷黒田長政小西行長
高山右近等)が何故当時厳しい時代に新しく入ってきたキリスト教に改宗(キリシタン大名)になったのか?

その何故が重要で。そこには「愛」があったと。

それまでは主従関係が当たり前で、与えたら求めるというのが当たり前だった時代に

「イエスは与え続ける」当時与えるというのが新鮮で、当時の武将がキリスト教になった経緯はみんな千利休の影響が強いと言われ、利休の下に集まった武将は改宗し、その後影響が強くなった為に秀吉に弾圧されたと。

 

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