昇地三郎先生108歳の誕生日

今回は昇地三郎さん108歳の誕生日(8月16日)

しいのみ学園と生前の昇地さんについての話を聞きたいという声を頂いております為、せっかくの機会にという事で、出来る限り知ってる範囲の事でお伝え出来ればと思います。

それではちょっとご紹介を。

昇地三郎先生

2人の息子が脳性小児麻痺で、「自分たちは学校に行けない」と抱き合って泣く姿に、親として何ができるのかと考え、2人の通える「イジメのない学校をつくろう」と、奥様とともに決意し、私財を投じてわが国初めての障害児のための「しいのみ学園」を設立しました。

障害に対して「現代の科学ではどうすることもできない」との医師の言葉に、

「科学には限界があるが、親の愛情には限界がない。子どもを必ず一人前にしてみせる」

との思いで障害児に愛情で接し、ともに遊びながら自主性を育てる実践教育を続けてこられました。実際にしいのみ学園の園児さんには自立をテーマに、無理に忠助しない、喧嘩は大いに結構、痛みを感じれる子供に!という事で脳や言葉が厳しい子供にはゴロゴロと転がりながら五感を出来るだけ刺激するという事で障害児に対しての教育を行い、園児さんの15%が健常者と同様の生活水準まで戻る事が出来た実績があります。

 

 

※昨年、連絡した時は今回の会社の5周年で黒田節をやる約束だったのが果たす事が出来ずに大変残念でした。が雲の上でやってくれていると信じる様にしています!と共に
元々講演はあまり公には行っていなかった為、お会いしたいというご要望にお応え出来ずになってしまった方には申し訳ない限りです。

振り返って、身近な方(大叔父さんにあたる方になります)に素晴らしい方がいたんだなぁと、昔は全然そんな感覚は無かったのですが、書籍やTVを拝見している中で改めて感じております。

身近にいる方のメッセージを聞くと、この人の大変さと比べればまだまだ自分は頑張らねばという気持ちになります。

「就職難とか言って、うろうろするな。会社に入れてくれなければ、ラーメン屋とかすし屋で開業すれば成功している人もいる」

 

お二人の子供が脳性小児麻痺になった際は“なぜ自分の家族だけが、こんな苦しみを味わわなければならないのか”いつ一家心中しようか迷っていたとの事です。しかし、懸命に生きる子どもの姿を見て、決して悲観してはいけない。そう考えるようになったと。

つらい出来事を通してしか知り得ないこと、感じ得ない幸福が必ずあります。暗闇の中でそっと輝く、その「小さな光」に目を向けられる、心の強さをぜひとも持ってほしいのです。

「人生は自分自身との戦いである。そうするとみな、悲しみの泥水は光となって、その1人1人の心の奥底に力を与えてくれる。私は100歳に自信を持って、自分の努力した道を伝えたいと思っている」

人生哲学の観点からすれば「人生は自分自身との戦い」。戦う相手は自分。誰しも、一生懸命やろうとする心と、怠け心をもっています。生涯現役と厳めしい顔をするのでなく、生涯現役を楽しんでいるのです。百まで生きて、元気に仕事をする。そのためには自立です。自分の人生を顧みますと「禍を転じて福と為す」の言葉に集約されるように思います。それに立ち向かっていくことを、私は各地で話したい。

 

そして今回、誕生日という事で遺品から世に出版されていない本がありましたのでご紹介致します。

(祖父山本長八は、昇地さんのお父さんにあたり、私のひいお爺さんになります)

山本長八

私と似てますでしょうか・・?

山本長八 山本長八

(以下は、公になっていない事が多いと思います)

なぜ私は次男であるのに三郎と名づけられたのか?

生まれた日が父の祖父に三右衛門という肩がいて、大変偉い方であったと。その方の命日に生まれたので三右衛門さんの生まれ変わりであろうという事で三郎と名づけられました。

障害児教育について

実はお二人のお子さんが脳性小児麻痺になる前、小学校の1年下にいた精神薄弱児(知能指数だと30位)の方との出会いがあり、その子が受けたいじめをお父さんの長八さんがあったかい心で受け入れたときの様子、お兄さんの死に際してなど。幼少期の頃から障害児教育を行うまでの過程が事細かく書かれていました。

その後はしいのみ学園の設立から今日に至るまで、メディアにもたくさん取りあげられていますが

私自身がまだ幼稚園、小学校の頃は必ず年に1回福岡から青森まで足を運んで頂き、70歳以上離れているにも関わらずこっちがTVゲームをやっていると、自ら近寄って「一緒にやろ~」とお声がけ頂いて、外に行く時も常に一緒になって遊んでくれました。(当時既に80歳以上で奥様の看護と次男の看護の両方行いながら、忙しい合間に来て頂きました)

※しいのみ学園で預かる子の80%は脳性麻痺の子で、彼らは脳の一番中心がやられている。

多くの子は小学校の頃から歩行が困難になり手も使えなくなってくる。言葉にも障害が出はじめて寝たきりになる子も多い。 集団で下流に流されていくイメージ。それをどうにかして逆境に立ち向かって頑張ろうという姿勢がある。 たとえ圧倒的に不利であったとしても

人生に欠かせないSとR

Sはstimulation(刺激)Rはreaction(反応)

特に脳性麻痺の子にどういう刺激を与え、どういう反応が返ってくるのか 脳性麻痺の子は刺激を与えても反応が無い。

では、どうするか

先生がごろごろと子供を転がす事で子供は喜んで反応する。しいのみ学園には車椅子も松葉杖もないのは子供の体を動かして刺激を与える為。 また知恵遅れの子に対してはノートではなく新聞紙を床に置いて文字を欠かせる (ノートだとはみ出してしまうため) そうなると喜んで書いてくれる。喜びのあるうちに自分の名前を欠かせる。 というのを体で覚えさせる。

※許容度を上げる

子供は常に自分がどこまで許されるのかを見ている。

例えばしいのみ学園において勉強より遊びが大事だというと月謝を出しているのにという不満が出る。しかし子供にとっては勉強も遊びも一緒であり、積み木に色を塗っておくとその並べ方で配色の仕方を覚える。数字を振っておくと1の上に2を載せ、3を載せ4を載せと数を覚える事が出来る。 年齢を重ねた人間はただでさえ心も体も硬直してくるがそれをほぐすには笑いや遊びが一番!

しいのみ学園 しいのみ学園 しいのみ学園

一昨年はベストドレッサー賞も受賞されました。

昇地三郎 昇地三郎 昇地三郎 昇地三郎
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