大橋訥庵(おおはしとつあん)

[1816~1862]江戸末期の儒学者。江戸の人。日本橋の豪商大橋家の養子。佐藤一斎に学び、朱子学を唱えて、攘夷(じょうい)を主張した。老中安藤信正襲撃を計画して投獄され、獄死。著「闢邪小言(へきじゃしょうげん)」「元寇紀略(げんこうきりゃく)」など。

大橋訥庵の目標、戦略は、「大日本国を蛮夷にならせじと申す所に大活眼を着けたまわねば恢復の成功を得たまうべからず」。
すなわち「日本を蛮夷(野蛮な外国)にしないことが王政復古を成功させる」ことと言っております。日本を列強国の植民地にしないと言っているのでしょうか。そしてこの戦略を実現するために2つの戦術を設定しています。

1.幕府を度外に打ち捨てる。
2.攘夷勅命を幕府経由せず直接諸侯・草莽へ公布する。

いずれも幕府を無視する戦術ですが、当時、果たして実際にこの戦術でことが運ぶかは疑問で、二つの戦術を設定した大橋訥庵自身に難しさの言い訳がましく感じられるところが垣間見れるのです。なお、この秘策は訥庵の門人椋木(むくのき)八太郎に託し上京、宇都宮藩主の姻戚である正親町三条実愛から密奏することになっていたのです。しかし朝廷からの反応は無かったようです。